「解体新書」が翻訳されていたことからも分かるように、江戸時代にすでに西洋医学は日本に入ってきていた。西洋医学を漢方に対して蘭方と言った。
江戸時代には両方の医学が混在していた。しかし、明治政府は漢方ではなく、蘭方を正当の医学として認めた。それは何故だろうか?
ここからは推測だが、たぶん戊辰戦争(明治2年)が大きく影響していたのではないか?漢方には体質改善といった悠長な面があった。それに対して蘭方は外科手術など即効性があった。
戊辰戦争のときに、傷付いた将兵に役に立ったのは漢方ではなく蘭方だった。そこで明治政府は蘭方を正当医学と認め、漢方を捨てたのではないか、というのが私の推測である。
当時、漢方医からの激しい反対があったというが、負傷兵には漢方は役に立たなかった。今でも癌などには漢方は手も足も出ない。
最近の漢方の復権は、西洋医学の存在を前提とした復権であることを忘れてはならないだろう。
江戸時代には両方の医学が混在していた。しかし、明治政府は漢方ではなく、蘭方を正当の医学として認めた。それは何故だろうか?
ここからは推測だが、たぶん戊辰戦争(明治2年)が大きく影響していたのではないか?漢方には体質改善といった悠長な面があった。それに対して蘭方は外科手術など即効性があった。
戊辰戦争のときに、傷付いた将兵に役に立ったのは漢方ではなく蘭方だった。そこで明治政府は蘭方を正当医学と認め、漢方を捨てたのではないか、というのが私の推測である。
当時、漢方医からの激しい反対があったというが、負傷兵には漢方は役に立たなかった。今でも癌などには漢方は手も足も出ない。
最近の漢方の復権は、西洋医学の存在を前提とした復権であることを忘れてはならないだろう。