恩師や先輩に海外留学経験者が多くいた。みな大変できる人たちだった。そこで若年の私は30代前半には自分も留学しようと考えていた。しかし、生活に追われてついに留学できなかった。
留学ブームは昭和30年代から50年代まで続いただろうか。最初のうちは、留学経験のある人は、みな一回り大きく見えた。昔から「洋行帰り」と言われて、彼らはひとつの「知的特権階級」だった。「留学して箔を付ける」という言葉もあった。
ところが、しばらく先輩たちの留学経験を見ているうちに、どうも違うようだと思うようになった。それはどういうことかと言うと、留学しても何にも獲得しないで帰ってくる人が目立ち始めたのだ。付けたのは「箔」だけで、中味は何もなかった。
他人の留学のビフォー・アフターを見ることができる歳になったら、次のことに気付いた。
つまり、留学して何かを得て帰ってくる人は、留学する前から「何者か」だった。一方、留学しても何も得てこない人は、留学前から平凡だった。
留学すると一回り大きくなるというのは錯覚で、そのような人は留学前からすでに大きかったことが、やっと分かった。
同時に私は留学しなくてよかったと思った。家族に迷惑をかけて留学しても、きっと何も学ばずに帰ってきただろうから。
留学ブームは昭和30年代から50年代まで続いただろうか。最初のうちは、留学経験のある人は、みな一回り大きく見えた。昔から「洋行帰り」と言われて、彼らはひとつの「知的特権階級」だった。「留学して箔を付ける」という言葉もあった。
ところが、しばらく先輩たちの留学経験を見ているうちに、どうも違うようだと思うようになった。それはどういうことかと言うと、留学しても何にも獲得しないで帰ってくる人が目立ち始めたのだ。付けたのは「箔」だけで、中味は何もなかった。
他人の留学のビフォー・アフターを見ることができる歳になったら、次のことに気付いた。
つまり、留学して何かを得て帰ってくる人は、留学する前から「何者か」だった。一方、留学しても何も得てこない人は、留学前から平凡だった。
留学すると一回り大きくなるというのは錯覚で、そのような人は留学前からすでに大きかったことが、やっと分かった。
同時に私は留学しなくてよかったと思った。家族に迷惑をかけて留学しても、きっと何も学ばずに帰ってきただろうから。