院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

真の交流には生身が必要

2013-04-29 04:56:34 | 社会
 国の首脳がわざわざ遠くの国まで出向いて、相手国の首脳と交流する。生身の人間が訪問するから意味があるのであって、これをテレビ電話で済ませるわけにはいかない。生身の人間同士がじかに接触することが重要である。

 動物はすべて身の回り何メートルかのテリトリー(パーソナルスペース)を持っている。他の個体と近づきすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。電線にツバメが等間隔に並んでいるのは、各ツバメがそれぞれ本能的に行動した結果である。

 人間も、電車の車両に客が一人しかいないとき、その客のすぐ隣りに密着して座る人はいない。それが人間の動物としての距離感である。逆に親密にコミュニケーションしようとするなら、2メートル以内に近づかなければならない。

 いくら通信技術が発達しても、人間同士のこうした本能的な感覚を機械で代用させることはできない。どこぞの企業は幹部会議をテレビ会議でやるそうだ。そのような企業はたいした企業ではない。たいていはワンマン経営者で、テレビ会議は経営者の命令を伝達するだけの役割に堕しており、丁々発止の議論は行いえない。

 ライブ演奏がスリリングなのは、ミュージシャンと同じ空間にいて、同じ空気を吸っているという本能的な欲求が満たされるからである。CDやDVDからはこのような快感は得られない。テレビ放送で見るライブでもダメである。

 生身の人間同士が互いに近くにいることが最も重要な事柄で、スカイプでは用件は伝えられても本能的な満足感は得られない。

 普通の映画や3D映画がいくら発達しても芝居がすたれないのは、以上のような理由による。