酔ひさうな浮桟橋に鯊(はぜ)を釣る 拙句
この俳句をある俳句サークルで提示し、みなに問うてみました。おおむね好評でした。ここは原句どおり終止形「釣る」でなくてはならないようです。「釣り」と川柳的に止めてはよくないという意見が大かたでした。
実際、「釣る」で投句した名古屋の結社誌でも、この句はわりに高く評価されました。
そこでさらに俳句サークルで、次のような止め方がよく見られるがどうか?と問いました。私が気に入らない止め方です。
酔ひさうな浮桟橋に鯊釣りて
言い切らないで、釣り以外にも何かしているような雰囲気を(何もないのに、あるかのごとく)匂わせているから好きではないのです。
次のような例(拙句)も提示しました。次の句の「見えて」が文法的に「釣りて」とまったく同じことなのかは自信がありませんが。
(1)夏霧の影絵に見えし漁船団
(2)夏霧の影絵に見えて漁船団
次のようなご意見をいただきました。
A夫さん:釣りて(いることだなぁ)のカッコ内が省略された詠嘆型。
B子さん:「て」は「現在」のテンス(時制)を示している。「見えし漁船団」だったら「過去」。「見えて漁船団」だったら「現在」。「見えて(ゐる)」のカッコ内が省略されている。
C夫さん:「釣りし云々」は過去に見えるが助動詞の連用形。
D子さん:「・・苦しきことのみ多かりき」の終止形「き」は過去・回想。だから連体形「多かりし云々」も過去・回想。
むろん私は(1)が好きで、(2)は思わせぶりなのでイヤなんです。好き嫌いと文法論議が錯綜していて頭がこんがらがってくるのですが、好き嫌い、文法どちらでも皆さまはどう思われますか?
同じサークルの別の方の俳句・・
戦争を知ってゐる歯が抜けて冬 甘納豆
この句だったら「抜けて冬」のほうがよくて「抜けし冬」では駄目だと思うから、私はますます混乱するのです。
この俳句をある俳句サークルで提示し、みなに問うてみました。おおむね好評でした。ここは原句どおり終止形「釣る」でなくてはならないようです。「釣り」と川柳的に止めてはよくないという意見が大かたでした。
実際、「釣る」で投句した名古屋の結社誌でも、この句はわりに高く評価されました。
そこでさらに俳句サークルで、次のような止め方がよく見られるがどうか?と問いました。私が気に入らない止め方です。
酔ひさうな浮桟橋に鯊釣りて
言い切らないで、釣り以外にも何かしているような雰囲気を(何もないのに、あるかのごとく)匂わせているから好きではないのです。
次のような例(拙句)も提示しました。次の句の「見えて」が文法的に「釣りて」とまったく同じことなのかは自信がありませんが。
(1)夏霧の影絵に見えし漁船団
(2)夏霧の影絵に見えて漁船団
次のようなご意見をいただきました。
A夫さん:釣りて(いることだなぁ)のカッコ内が省略された詠嘆型。
B子さん:「て」は「現在」のテンス(時制)を示している。「見えし漁船団」だったら「過去」。「見えて漁船団」だったら「現在」。「見えて(ゐる)」のカッコ内が省略されている。
C夫さん:「釣りし云々」は過去に見えるが助動詞の連用形。
D子さん:「・・苦しきことのみ多かりき」の終止形「き」は過去・回想。だから連体形「多かりし云々」も過去・回想。
むろん私は(1)が好きで、(2)は思わせぶりなのでイヤなんです。好き嫌いと文法論議が錯綜していて頭がこんがらがってくるのですが、好き嫌い、文法どちらでも皆さまはどう思われますか?
同じサークルの別の方の俳句・・
戦争を知ってゐる歯が抜けて冬 甘納豆
この句だったら「抜けて冬」のほうがよくて「抜けし冬」では駄目だと思うから、私はますます混乱するのです。