新聞には必ず読者の俳句欄と短歌欄がある。私には俳句欄は面白くない。幼い俳句ばかりが載っているからだ。それに比べて短歌欄はけっこう面白い。これは、私が俳句に通じ、短歌に通じていないからだと思われる。
短歌に通じていないことを前提で言うと、私には自然描写の短歌がつまらない。ほんとうは自然描写(俳句でいう客観写生)は、写生をしているだけのようでいて、詠み手の心情や個性が伝わってくるはずだ。短歌の自然描写が私にはつまらなく思えるのは、私の読解力不足のせいだろう。
ついでに言うと、短歌には老いを嘆いた歌が多く見られる。俳句ではやせ我慢して嘆かない。老いを嘆いた歌は私にとっては面白くない。
今のところ、私は次のような諺と言うか、箴言のような短歌が好きである。
鉾先を向けられ沈黙守りしは血の気少なきことにはあらぬ (金子正雄)
唱うれば心明るむ呪文なり「なれど天下の大事ではない」 (大下一真)
上のような歌は「大御所」と呼ばれるような人は詠まない。でも、俵万智の師匠である佐佐木幸綱は次のような歌を詠むので少し安心する。
起きぬけにテレビをつけるパンタロンの大原麗子と寅さんが来る (佐佐木幸綱)
短歌に通じていないことを前提で言うと、私には自然描写の短歌がつまらない。ほんとうは自然描写(俳句でいう客観写生)は、写生をしているだけのようでいて、詠み手の心情や個性が伝わってくるはずだ。短歌の自然描写が私にはつまらなく思えるのは、私の読解力不足のせいだろう。
ついでに言うと、短歌には老いを嘆いた歌が多く見られる。俳句ではやせ我慢して嘆かない。老いを嘆いた歌は私にとっては面白くない。
今のところ、私は次のような諺と言うか、箴言のような短歌が好きである。
鉾先を向けられ沈黙守りしは血の気少なきことにはあらぬ (金子正雄)
唱うれば心明るむ呪文なり「なれど天下の大事ではない」 (大下一真)
上のような歌は「大御所」と呼ばれるような人は詠まない。でも、俵万智の師匠である佐佐木幸綱は次のような歌を詠むので少し安心する。
起きぬけにテレビをつけるパンタロンの大原麗子と寅さんが来る (佐佐木幸綱)