私見だが、花鳥諷詠という俳句哲学は「人生は苦しくて醜いものである。そんなことは言われなくても分かっている。だからこそ俳句の世界では苦しいものや醜いものを詠まないでおこう」という考え方だと思う。
高浜虚子は、先の大戦中にも戦争のことはいっさい俳句に詠まなかった。見事に一貫している。だが私、素人俳人としては、美しくきれいなことしか言わない花鳥諷詠に飽きてくることがある。
そんなときに小説や短歌を読む。これらの世界では、けっこう苦しいもの醜いものが主題とされる。醜悪ではないが次のような感覚も短歌だから言えるのであって、俳句では絶対に言えない。
シャーペンの芯を一本「あげる」って云われたときがピークであった (穂村弘)
こんなにも興がる女としらざりきさざえさんよみつま爆笑す (岩田正)
こういうとぼけた味わいに接すると、ほっとする。今後も気に入った短歌があったら紹介する予定である。
高浜虚子は、先の大戦中にも戦争のことはいっさい俳句に詠まなかった。見事に一貫している。だが私、素人俳人としては、美しくきれいなことしか言わない花鳥諷詠に飽きてくることがある。
そんなときに小説や短歌を読む。これらの世界では、けっこう苦しいもの醜いものが主題とされる。醜悪ではないが次のような感覚も短歌だから言えるのであって、俳句では絶対に言えない。
シャーペンの芯を一本「あげる」って云われたときがピークであった (穂村弘)
こんなにも興がる女としらざりきさざえさんよみつま爆笑す (岩田正)
こういうとぼけた味わいに接すると、ほっとする。今後も気に入った短歌があったら紹介する予定である。