(Yahoo ショップより引用。)
上の歌謡曲の題名は現在でも通用します。「天道」の用語はすでに日本書紀に見られるそうです。「天道」は世俗道徳であると同時に、最高位の聖なるものでした。「天道思想」は特定の誰かが広めた宗教でなく、日本人の良心のようなものとして、あまねく存在していたようです。
天皇の文書や大名の家訓にも「天道に背く罰」、「天道の恩寵」という言い方がなされています。信心深いことも「天道」にかなうこととされています。つまり、「天道」は宗派を問わないのです。仏教がすんなり受け入れられたのも、下ってキリスト教が(最初は)排斥されなかったのも、「天道思想」が下地にあったからだとも考えられます。
ポルトガル人宣教師は「天道」を絶対神「デウス」として本国に報告しているそうです。日本人は正月に神社に初詣に行って、お彼岸にはお寺に墓参りに行くことを自分たち自身で不思議に思っていますが、「天道思想」が古来からあったことを考えれば、ある程度理解できるのではないでしょうか?
※今日、気にとまった短歌
ひと筋にねじれて誇るスカイツリー三度の転職退きて見上ぐる (市川市)樋口栄延
上の歌謡曲の題名は現在でも通用します。「天道」の用語はすでに日本書紀に見られるそうです。「天道」は世俗道徳であると同時に、最高位の聖なるものでした。「天道思想」は特定の誰かが広めた宗教でなく、日本人の良心のようなものとして、あまねく存在していたようです。
天皇の文書や大名の家訓にも「天道に背く罰」、「天道の恩寵」という言い方がなされています。信心深いことも「天道」にかなうこととされています。つまり、「天道」は宗派を問わないのです。仏教がすんなり受け入れられたのも、下ってキリスト教が(最初は)排斥されなかったのも、「天道思想」が下地にあったからだとも考えられます。
ポルトガル人宣教師は「天道」を絶対神「デウス」として本国に報告しているそうです。日本人は正月に神社に初詣に行って、お彼岸にはお寺に墓参りに行くことを自分たち自身で不思議に思っていますが、「天道思想」が古来からあったことを考えれば、ある程度理解できるのではないでしょうか?
※今日、気にとまった短歌
ひと筋にねじれて誇るスカイツリー三度の転職退きて見上ぐる (市川市)樋口栄延