院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

俳文・幼き日の月

2017-09-05 02:14:51 | 俳句
 太陽はまぶしくて凝視できないが、月は見ることができる。幼少時どこに行くにも帰るにも目黒川沿いを通った。東京の道路はまだ未舗装で高いビルもなかった。家々はほとんどが木造だった。

    満月の着いてくるなり川沿ひに

 歩を止めると月も止まった。「どうして?」と私。「月はすごく遠くにあるからだよ」と父。私には意味がわからなかった。

 月の出は殊に不思議だった。登りたての月は異様に大きく、まただいだい色を帯びていた。月にせよ太陽にせよ、地平線に近いとなぜ巨大に見えるのか、ほんとうのところはちゃんと分かっていないらしい。

    汚れたる巨漢のごとし月のぼる

 父は「月でウサギが餅をついているように見えるだろう?」。私はよく見たが、そのようには見えなかった。

    満月に蟹を見るとぞ異国では

 節分には家々から「鬼は外・・」の声が聞こえた。今はビル街となって往時の声はまったくない。父は「あそこに鬼がいる」と言ったが、私にはどうしても見えなかった。豆を撒いた。もったいないから後で食べるために室内に撒いた。

    節分や大小の声家々に    

 東京の私の住むところでは月見の風習はなかった。戦後10年、まだそれだけのゆとりがなかったのかもしれない。絵本で見るススキと饅頭の月見にあこがれた。とくに饅頭に・・。

    月めでるための芒を切りにゆく

 カレーライスがごちそうだっだとは、いつぞや書いた。不安が多い幼少期でもカレーで一息ついた。(生まれてから初めての記憶は不安に彩られている、とは恩師、中井久夫氏の言葉)。

    貧しくもカレーを囲む良夜かな

 近所の子らとよく遊んだ。当時は魚屋のケンちゃんがガキ大将で、その公正な采配はのちのちまで勉強になった。彼は子どもたちの尊敬を集めた。

    遊びほうけしその夜の無月かな

    雨降るや名月のぞむべくもなく

 それから10余年後、アポロ計画の成功によって月の神秘性は激減した。

    
    (「足成」より引用。NGe氏撮影)。