院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

庶民にとって不動産はいつまでも「高嶺の花」

2017-09-08 02:26:33 | 経済
trickle down (したたり落ちる)論といったか名称はうろ覚えだが、シャンペンタワーのように上のグラスが満杯になれば自動的に下のグラスにシャンペンが落ちてきて、そのようにして皆が豊かになるという、お金の流れを説いた論がある。

 だから最初は上のほうが金満になるけれども、そのお金はやがて下のほうにも回ってくる。そういう次第だから最初のうちの格差は辛抱してくれというわけだ。

 話は跳ぶようだが、私は若いころから自分の土地家屋をもちたいと思っていた。庭つき一戸建ては庶民の夢である。だが現在の給料ではまだ無理で、来年こそはと考えた。ところが来年になって給料が上がると土地の価格も上がって、また手が届かないところへ逃げてしまうのだ。

 ようやく気づいたのだが、経済構造がシャンペンタワーなら当然である。最上位の金満家はお金がたまると、下に落とす前にまず蓄財する。すなわち宝石骨董不動産などに替える。当然それらの価格は上昇する。だから宝石骨董不動産は、あまったお金が下のグラスに落ちてくるころには下のグラスにはすでに手の届かない価格になっている。

 こうして庶民には、いつになっても宝石骨董不動産は高嶺の花なのである。ところがバブル崩壊時には様子が違った。これらの財産の価格は急落した。私はその時に今の自宅を買った。買ってからも値下がりは続いた。しかし地方都市の不動産は東京の10分の1の価格だったから苦にはならなかった。

 私が今住んでいるところは、とうじは区画整理中だった。周りは農家ばかりで同じ苗字の人が多かった。入居したその年に「組長」を任命された。よそ者の私は、むかしからの人たちとうまくやっていこうと組長の仕事を頑張った。その仕事の中に肥料の斡旋があった。畑違いの仕事だったが文句を言わずに励行した。


(わが町の風景。筆者撮影)。

 写真の手前左が拙宅(生け垣が少し写っている)。車が見えるちょっと先が左右に走る幹線道路で、以前はその道路までの道は廃屋で塞がれていた。区画整理が進むと廃屋は撤去され写真のような一本道になった。その上、肥料の斡旋もなくなった。

 拙宅から東海道新幹線の豊橋駅まで車で10分余。だから新幹線を利用すれば羽田に2時間あまり。中部国際空港にも2時間半あまり。海外へ行くのに日本の大都市で一泊する必要がない。

 拙宅の以前の所有者は、バブル崩壊による投資事業の失敗で先祖伝来の土地を手放さざるをえなかった。その人の物置の撤去の遅れを許したり、資材を置かせてくれとの願いを私は受け容れた。

 そのためかどうか、もとの持ち主とは未だに薄い付き合いがある。まったく「情けは人のためならず」を実感した。最近この町には邸宅が建ち始めた。この地域は豊橋でも有数の住宅地になりつつある。

 ※私の俳句(秋)
    屋外は闇を満たせる虫しぐれ