院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

PAC3 は発射されないだろう

2017-09-10 22:51:56 | 技術

(PAC3発射台。ウィキペディアより引用)。

 PAC3ミサイルの前身PAC2は湾岸戦争のときに、イラクのスカッドミサイルを1機も打ち落とせなかった。それでPAC3が開発されたのだが、PAC3が有効かどうか疑問をもっている向きも多いらしい。

 PAC3が十分有効ならば、韓国はさらに高価なTHAADを導入する必要はなかったはずだ。PAC3の実験映像が少なすぎることもそれを傍証している。

 わが国は中国地方や四国地方にPAC3を配備したけれども、PAC3が覆う範囲は1機あたり半径30キロメートル程度だそうで、ひとつの都市を守るだけでも数が少なすぎる。その上、発射して命中しなければその無力さが敵にバレれてしまう。

 すなわち、もしミサイルが来たら撃ち落とすからね!というポーズをとっているだけだから、変に発射して外すより発射しないほうが得策なのである。


(レーガン大統領。ウィキペディアより引用)。

 ここでレーガン大統領時代のスターウォーズ計画(SDI)が思い出される。この時にはソ連からの核を積んだICBMを打ち落とすため、レーザーを初めとしたあらゆる兵器が考案され、膨大な軍事研究費が使われた。

 同じころスペースシャトルがさかんに打ち上げられ、他国の人工衛星をポイポイつまんで回収できる技術が確立した。ソ連も負けじと軍事開発に力を注いだが、なにせ予算が足りない。財政がひっ迫してソ連は軟化せざるをえなくなった。

 これを機会にソ連は崩壊に向かう。同時に冷戦が真の意味で終結した。ゴルバチョフ政権のときだった。

 アメリカでは膨大な予算がスターウォーズ計画(SDI)に使われたが、なにも実用化しなかった。ここで注目すべき点が2つある。ひとつは、レーガン大統領がSDIをぶちあげた演説(SDI演説)は、結果的に口先だけのことになった点。もうひとつは、スペースシャトルは平和利用であるかのように見えて実は高度な軍事ミッションを負っていた点である。(それが証拠に、ミッションが終わるとスぺースシャトルはさっさと引退してしまった)。

 以上のような次第でPAC3は発射されないだろうと私は思うのだが、みなさまはどう思われるだろうか?

 ※私の俳句(秋)
    虫の声一掃したるにはか雨

1円の値上げに大騒ぎしたマスコミと主婦連

2017-09-10 15:05:17 | マスコミ

(62円ハガキ。日本郵便のHPより引用)。

 このたびハガキが62円となり、20%も値上げされた。(年賀状を除く)。それが、すんなり決まって反対の声は出なかった。

 むかし、牛乳が1円値上げされるだけでマスコミと主婦連は反対の大合唱を行った。現在、たとえばスーパーやコンビニがプライベートブランドを値上げしても、大反対の声は上がらなくなった。

 わが国が豊かになったからだろうか?それともインフレを願う気持ちがあるからだろうか?

 マスコミと主婦連が牛乳の1円値上げにあまりにうるさく、山本夏彦翁をして「1円玉が落ちていても拾わないくせに・・」と言わしめた。

 政治団体としての主婦連はいまどうなったのだろうか?まだ存在しているのか?

 1968年、地婦連が格安化粧品「ちふれ」を(株)ちふれ化粧品から売り出した。地婦連は、主婦連とはまったく別の団体である。売り出しとうじ「ちふれ」は1ビン100円で、化粧品会社がイメージ戦略だけでいかに大枚を女性たちから巻き上げているかを証明した。

 消費者団体としての地婦連のほうは、今どうしているのだろうか?


(「ちふれ」発売の化粧品。(株)ちふれ化粧品のHPより引用)。

 ※私の俳句(秋)
    虫の音の満てる闇へと子は去りぬ 

    

住宅街の犬の声

2017-09-10 00:09:24 | 生活

(番犬。ウィキペディアより引用)。

 「猛犬に注意」というステッカーを貼った家が少なくなった。犬はあくまでもペットであって、何かの用途に使おうという考え方がなくなってきたのだろうか?

 これらの犬は、郵便や新聞の配達人を困らせていた。また、よく吠えるので、住宅街の騒音の元だった。私は犬は好きだが、住宅街の犬の声には悩まされてきた。このごろ、それが少なくなった。(犬の声には犬の感情がはいっているから、ときに機械の騒音よりも神経に障る)。

 東京でも、むかしは「犬の鳴き声公害」があった。しかし最近ではマンションは飼い犬禁止だし、広い庭がある家も少ないから犬の声はめっきり減った。喜ばしいことである。

 拙宅があるような地方都市でも「犬の声公害」は、この10年で激減した。庭のある家が多いにもかかわらず・・。やはり犬を家畜としてではなく、家族のようなものとして飼う人が増えてきたからだろうか?

 私が幼少時、犬の遠吠えがよく聞こえた。あれはなんなのだろうか?こちらの犬が遠吠えを始めると、かなたの犬が応えて遠吠えする。かくして、住宅街に犬の遠吠えが響きわたることになる。(テレビの動物映画でオオカミの遠吠えが映される。同種どうしの意味があるコミュニケーションなのだろう)。

 街から犬のフンが消えた。私の幼少時、草むらに犬のフンがあって、そこに座ってしまったことがあった。犬を飼う人のマナーが向上したのは、とても嬉しい。

 いまの私に犬を飼う気持ちはない。なぜかというと、我が家は仕事などで家を空けることが多く、誰もいない家に犬だけ一人で置いておくのは忍びないからである。

 ※私の俳句(秋)
    秋の夜石鹸のまま電話に出