院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

日本人が「はい」と返事をしなくなった

2017-09-07 17:45:17 | 社会

(日の丸掲揚風景。(株)大清工務店のHPより引用)。

 山本夏彦翁は言った。「国民の祝日には官公庁は日の丸を掲げる。むかしは一般の家も掲げた。いまは掲げない。あえて掲げると主義主張があるように見られてしまう(大意)」。かつて私の祖父は日の丸を掲げていた。私は、そもそも日の丸をもっていない。

 周囲に合わせるのは人の常である。他と違ったことをやりたがらない。女子高生の多くがマスクをしているのに、自分だけマスクをしないと恥かしいから、ある女子高では全員がマスクをするようになった。(「女子高生にだてマスクが流行」2014-04-16 参照)。

 他と合わせようとする。人がそうしてしまうのは、集団心理学では「斉一性の力が働いている」と考える。

 小学校のときから、返事ははっきりとと教わってきた。いま「はい」とはっきり返事をする人が少ない。病院の待合室で呼ばれても、黙ってヌッと立つだけである。就職試験で呼ばれても、学生はヌッと立つだけなのだろうか?

 呼ばれたら「はい!」とはっきり言って立とうではないか。周りの人が返事をしなくても・・。

 ※私の俳句(秋)
    虫の声やんで日の出の気配なる

「主体」「自我」「自己」のことなど

2017-09-07 00:09:38 | 学術
   
   (第一次視覚野。ウィキペディアより引用)。

 網膜に映った像は、脳内の複雑な過程を経て後頭葉の視覚野にマッピングされる。そのため後頭葉に損傷があると像が正しく見えない。

 それでは後頭葉に結ばれた像を見ているのは誰か?と問うたのは、確か数学者の小平邦彦である。

 この「熱い」「痛い」「おいしい」etc.・・と感じる主体を、心理学では「自我」という。哲学的な厳密さを求める立場の人たちは「自己」と呼ぶ。「自己」は「他者」の存在を前提とした概念である。

 私の精神医学の恩師、木村敏先生は、統合失調症の基本障害(すべての症状がそこから出てくる根本)を「自己の自己性の障害」と考えている(と私は思う)。先生は、自己と他者がそこから分離して出てくる「場所」に注目し、そこを「間」(あいだ)と名づけた。

 西田幾多郎の流れを汲むこうした思想は西洋にはなく、最近の先生は日本よりむしろフランスで人気がある。

 ※私の俳句(秋)
    敬老会らし半吊りの秋すだれ