院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

刑罰か矯正か?

2008-01-16 09:20:09 | Weblog
 わが国の懲役は、刑罰なのか矯正なのか区別がはっきりしない。だから、妙に生ぬるいところがある。

 アメリカのように懲役は刑罰だとはっきり規定すべきである。自由を奪う刑罰として位置づけ、変に矯正なぞという考え方を導入しないほうがよい。

 現に服役者の半数以上が再犯である。前の懲役に矯正の効果がなかったということになる。

 もう二度と刑務所には来たくないというほど、刑務所の居心地を悪くすべきである。

 「刑務所太郎」という言葉がある。服役中はほとんど模範囚で、出所するとまた何かをやらかして刑務所に舞い戻ってくる連中のことである。彼らにはシャバより刑務所のほうが居心地がよいのである。

 刑務所は「刑務所太郎」を生んではいけない。とにかく、二度と行きたくないところにしなくてはならない。矯正なぞと格好をつけていてはいけない。

カーペンターズの声

2008-01-14 10:12:28 | Weblog
 私の子供たちが赤んぼのころ、カーペンターズの音楽を聴かせると、ぐずっていても寝た。

 それで今回、孫を預かることになって、またカーペンタズを聴かせた。そしたら、なんとまた寝たのである。

 カレン・カーペンターの声は、子供を寝かしつける効力があるようだ。カレンは摂食障害で死んでしまったと聞いているけれども、声は生きているということだ。

 カレンの声には人の耳では分からないほどの「ゆらぎ」あるという。この「ゆらぎ」が赤んぼには心地よいのかもしれない。

 同様の声の「ゆらぎ」を持つ人に、わが国の森本レオさんがいる。森本さんの声は先天的なものである。

 彼は歌を歌わないが、彼に子守唄を歌ってもらったら、世の多くの赤んぼが寝るのではないか?

松下、ナショナルの名称放棄

2008-01-13 09:07:11 | Weblog
 松下グループが松下とナショナルという名称を放棄して、パナソニックで統一されるという。

 別々のブランドをひとつに統一することは、世界戦略的に意味のあることなのだろう。

 私の世代では、「明るいナショナル」というフレーズが耳に焼き付いている。まだ子供でナショナルという言葉を知らない時代、私はこのフレーズを「明るいワショワー」と覚えていた。

 松下関係には、松下政経塾というのがあるが、この名称はどうなるのだろうか?

寿司ネタとしての玉子焼き

2008-01-12 14:10:14 | Weblog
 昔、寿司ネタの玉子といえば、エビのすり身入りの玉子焼きだった。ダテ巻きのような玉子焼きである。

 いつの頃からか、寿司屋で玉子というと、普通のダシ巻き玉子が出てくるようになった。エビのすり身入り玉子はもはやどこの寿司屋も置いていない。

 どうしてこのようになってしまったのだろうか?寿司ネタとしては、ダシ巻き玉子よりエビのすり身入り玉子のほうが断然おいしいのに・・・。

 かつて玉子は「高級品」だった。だからエビのすり身は混ぜ物と見なされて、ダシ巻き玉子のような純粋な玉子焼きのほうが高級とされたのではないか?

 でも、玉子焼きにエビのすり身を入れるのは、カサを増やすためではない。そのほうが、寿司飯に合うからだ。

 なのに未だにエビのすり身入り玉子が下に見られるのは、口惜しい。

 コンビニの寿司などに、たまにエビのすり身入り玉子が使われている。それで下に見られてしまうのだろう。

生野菜は食うべきではない

2008-01-11 08:25:21 | Weblog
 私は生野菜が好きではない。

 最近のヘルシーブームで生野菜を馬のように食べている人がいるけれども、かつてそんな時代があっただろうか?生野菜というのが手に入るようになったのは、つい最近のことではないか?

 しかも、生野菜にドレッシングという大量の油をかけて食べる。油を食べてどこがヘルシーか?塩だけで食えと言いたい。

 野菜は、いつぞやも言ったとおり煮たり炒めたりして食べるのが一番おいしい。なにも生である必要はない。火を通してもて栄養も繊維質も十分に取れる。わざわざ生で食べる神経が私には分からない。

 キャベツだってニンジンだって、煮たほうがおいしいのである。実はレタスも煮たほうがおいしいのだ。セロリもである。

 わが国には野菜の調理法に漬け物というのがある。これがまたおいしい。山ほどの生野菜より漬け物のほうが少量でもうまい。こんなにうまいものを、食べずになぜ生野菜を食べるのだろうか?

 栄養においても、うまさにおいても生野菜は煮野菜、炒め野菜、漬け物にかなわない。それでも生野菜を食べるというのは、単なる流行と考えるほかはない。

ブチルアルコールで酔う

2008-01-10 08:29:10 | Weblog
 私たちが普段呑んでいる酒はエチルアルコールである。エチルより炭素が一個少ないだけのメチルアルコールは、良く知られているように有毒である。

 戦時中、酒のない時代、医局の大先輩たちは実験用に置いてあったエチルアルコールを呑んで酒盛りをしたという。

 当時、「藤波肉腫」といわれた癌があって、大先輩たちはニワトリにこの肉腫を発生させることに成功していた。(運が良ければノーベル賞をもらえる成果だったという)。

 大先輩たちは、この癌のニワトリを煮て肴にして、エチルアルコールを呑んでいた。酒飲みとは、いつの時代でも呑むためなら何でもしたようである。

 いよいよエチルアルコールもなくなると、今度はブチルアルコールを呑んだそうだ。ブチルはエチルより炭素が一個多いアルコールで、これでも酔えたという。有毒ではない。

 癌のニワトリを肴にしてブチルアルコールを呑む。これも大先輩たちのささやかな役得だったのだろう。

精神科医歴30余年

2008-01-09 08:04:24 | Weblog
 ひとつの仕事をして30年以上たてば、もうベテランである。私も精神科医歴30余年だから、自分ではベテランのつもりである。患者さんの顔を見ただけで80%はすでに診断がついている。

 同級生に優秀な外科医がいる。腕は折り紙つきである。彼は、自分はどんなに酔っ払っていても、完全な手術ができる自信があるという。ほんとうにそうか?

 私は、酔っ払っていては完全な診断面接ができない。酔っていては相手に失礼だとかの理由ではない。

 酔っ払っていると、患者さんの微妙な表情の変化、言葉遣い、症状の表現などについて、感覚の鋭敏さが欠けてしまうのである。だから、私は酔っていては診察ができない。

 私は、外科医も酔っていては、万全な手術はできないだろうと思う者であるが、尊敬する親友の外科医が、できると断言するのだから、できるのだろう。

 ということは、外科手術というのは精神科診断面接より簡単だということになりはしまいか?

100万円エックスクイズ

2008-01-08 13:53:56 | Weblog
 私が子供のころ、「100万円エックスクイズ」というTV番組があった。全問正解すると100万円がもらえる。当時の100万円と言えば、今の1千万円くらいの感覚である。

 この番組で全問正解した青年がいた。彼は鉄道オタクで、鉄道のことなら何でも知っていた。50万円のところまではなんなく正解した。いよいよ、最後の100万円の問題である。

 それは、聞いたこともないようなローカル線の始点と終点の駅名を答える設問だった。鉄道の数は20ほどあったと思う。彼は脂汗を流しながら考え、ついに全ての駅名を答えた。

 私は絶句した。世の中には凄い人がいるものだと思った。

 以来、私はクイズ好き、雑学好きになった。このようなブログを毎日タネ切れもせずに書いているのは、そのことと関係があるかもしれない。

ホウレンソウはまずい

2008-01-07 08:28:24 | Weblog
 ホウレンソウをうまいと思ったことがない。ふつう茹でて食べるが、おいしくない。妻は好んでホウレンソウのおしたしを食べる。なぜ好むのか、その気持ちが私には分からない。

 子供心にホウレンソウはまずいと思った。だからアニメのポパイでもホウレンソウを食べると力が100倍になると描かれていたのだろう。アメリカの子供たちもホウレンソウが嫌いなのだ。だからポパイで啓蒙したのだろう。

 ホウレンソウはなぜまずいのか?私はホウレンソウに蟻酸が含まれているためだと考えている。蟻酸はまずい。量が多いと有毒である。

 それにひきかえ、小松菜はうまい。おしたしにしても、ツユに入れてもおいしい。姿かたちは似ていても、うまさには雲泥の違いがある。

 ホウレンソウにはそんなに栄養があるのだろうか?少なくとも小松菜より格段に栄養があるとは思えない。

 なのに、昔から子供たちはホウレンソウを食べることを強要されている。私もその一人だったが、気の毒というほかはない。

 洋の東西を問わず、ホウレンソウが奨励されるようになったのは何故だろうか?ホウレンソウが鉄分を多く含むからだろうか?

 鉄分が不足しない今日でもホウレンソウが奨励されているのは、私には惰性としか思えない。

死傷とはマスコミの本性見たり

2008-01-06 13:35:52 | Weblog
 マスコミは、爆弾テロで100人が死傷したという。この死傷という言葉の意味が分からない。というより、何を言いたいのかが分からない。

 99人死んで、1人が怪我をしたのか、1人が死んで99人が怪我をしたのかが分からない。死ぬのと怪我をしたが助かったのとは大違いだ。それをマスコミは100人死傷したと報じる。

 マスコミは要するに爆発の規模だけを伝えたいのだろう。何人死んで、何人怪我をしたのかには興味がないのだろう。あまりにアバウトである。人の生き死にを死傷という言葉で曖昧に伝える。

 マスコミの本性見たりである。

読み書きそろばん

2008-01-05 14:16:42 | Weblog
 俗に読み書きそろばんという。これさえできれば世渡りができるというほどの意味だろう。

 私は子供に読み書きそろばんならぬ、読み書き計算を教えた。そして小学校5年生のときに、子供たちが割り算ができるようになったので、ほっとした。

 割り算は、足し算引き算掛け算すべてをマスターしていなくてはできない。だから、ほっとしたのである。

 あとの知育は学校に任せた。あとは、いろんなことを経験させた。子供はそれで勝手に成長していった。親がごちゃごちゃ教育に口出ししてもダメなのだと、つくづく思った次第。

超能力

2008-01-04 14:04:41 | Weblog
 霊界を見たとか心霊術ができるとかいうが、そんなの超能力か?

 今、私たちが「自我」を持ち、しゃべって意思疎通し、笑い、泣くほうがよっぽど不思議ではないか?よっぽど「超能力」ではないか?

 この深い謎の前に、霊界も心霊術も出番なぞない。「自我がある」、「私がある」という圧倒的な現実の前に、超能力なんてちゃんちゃらおかしい。

 超能力ならすでに持っていると言ってもよい。人間だけではない。鳥や獣も超能力をもっているだろう。だから仲間同士連絡しあったり、獲物を識別することができるのだ。

教授の給料

2008-01-03 10:19:45 | Weblog
 前にも述べたが、私は超一流高校の出身である。同級生に一流人になったのがたくさんいる。

 こいつにはとてもかなわないと私が思った連中には教授になったのが多い。2番手が大企業の重役である。3番手は医者や弁護士。私の高校は他の進学校に比べて、伝統的に医者が少ない。

 一番儲けているのは、大企業の重役である。彼らは年俸(税込み、以下同じ)5000万円から6000万円である。ずいぶん苦労してきたのだろう。清濁合わせ飲まなかった場面も多かっただろう。だから、この数字は当然のことと思う。

 医者は、大病院の部長クラス、中小病院の院長クラスで、年俸1800万円から2000万円である。これは、まあ労働と責任に見合った数字である。

 問題は教授の年収である。日本の頭脳と呼ばれながら、1000万円から1300万円である。30歳の商社マンより少ない。

 教授はストレスがないとでもいうのだろうか?自分の好きな研究だけをしていればよいと言うのだろうか?そんなことはない。教授は学生や大学院生の教育をして、その上、企業から研究費をもらわなくてはならない。下げたくない頭を下げてである。これでは、そのうち教授のなり手がなくなると思う。

朝酒はよい

2008-01-02 09:41:12 | Weblog
 正月はよい。朝から酒を呑んでいても誰も文句を言わない。

 今日も朝から呑んでいる。しゃっくりが昨日から止まらない。

 娘夫婦と赤んぼ、息子夫婦が来ていて、にぎやかなことおびただしい。小さな幸せである。

 たまのことだから良いのだろう。毎日、朝酒とご馳走では飽きてしまうだろう。

 来年もこのようなお正月が迎えられるだろうか?誰かが欠けているかもしれない。

お年玉をはずもう

2008-01-01 14:00:52 | Weblog
 みなさま、明けましておめでとうございます。

 これからお年玉を配らなくてはならない。

 私が子供のころ、どんな説教を垂れる大人より、お年玉を沢山くれる大人を尊敬した。

 子供は現実主義者である。お年玉の少ない大人を尊敬しない。だから、私はお年玉をめいっぱいはずむことにしている。

 みなさまも5千円1万円をケチって、子供からばかにされないように。