えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

柳宗悦:「工藝の道」読了

2009年05月03日 | 読書
歯を昨日抜きました。
以前、痛みとのものっそい格闘をした記憶から覚悟を決めてましたが、
思ったより事後も調子よく、ものを食べています。
それでもほどほどにだるい午後をともに過ごしていたのが本日の本です。

:講談社学術文庫「工藝の道」 柳 宗悦著 (文庫としては)2005年

柳宗悦、まだ若き日の昭和3年、最初期の工藝への論がこの「工藝の道」
です。文中語るように、モリスン=モリスらが英国で立ち上げた
アーツ・アンド・クラフツの思想を踏み台として、彼が見出した
『工藝の美』とは何かを熱く説く論文です。

主な論は四つに分かれていて、まず
『工藝の美』、
それから
『正しき工藝』、『誤れる工藝』、『来るべき工藝』
と進んでゆきます。

では工藝のうつくしさは何か?
柳はいろんなことばでこれを語ります。なので中で、私の気に入ったものを
挙げたいと思います。


『工藝の美は健康の美である。』


健康的、と言うこと、つまり健全に「はたらくことができる」モノが、
彼のいとおしんだ工芸品なのです。
かつては、どんなモノも使うために作られたのに、いつの間にか
私意が入り、だんだんと目的を見失ってゆくモノたちを柳は哀れみます。
工藝が個人芸術の手段になってしまう、そのキーとしている事が、

『多』

という言葉です。
たくさん作るには、人手が必要で、ルーティンワークがいります。
ルーティンワークの無私、そしてたくさん作ることで、必要最低限へと
人の手が純化していった技術こそが、民藝の美を作るおおもとで、
工藝が民藝とよべる条件だ、
こうしたことを作中何度も彼は繰り返して言います。
表現ではなく、すべてがあくまで手段であったからこそ、素直な
美しさがあるのだと。

当然、ここに「機械を使った商品のどこが悪いのだ」という疑問が
置かれますが、やっぱり柳の切り返しは面白いなと思います。
機械を使うのはかまわない、機械の奴隷になるのがまずいのだ。
ある程度は機械に任せても、仕上げは人間の手がいちばん。
そう言ってはばかりません。
実際、今でも良い品物を作る企業では、最後の仕上げを人の手に任せて
いるところが多いことから見ても、一面の真理を彼が射抜いたことは
十分にわかるのではないでしょうか。

この人の感覚に触れるたびに、真摯な新しさに瞠目させられます。
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