いい美術展でした。
渋谷の東急Bunkamuraで開催している、
「忘れえぬロシア 国立トレチャコフ美術館展」
に行きました。
車内ポスターなどで見かける、あの人を見下したまなざしの
魅力的な黒服の女性に目を留めた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
彼女の邦題が『忘れえぬ女』。
近くで見ると結構怖い顔でしたが、たしかに一度見たら頭に妬きつく
まなざしを持つ、それでいて静かな静かな画の彼女はほんとに素敵です。
が、今回目に止まったのはこの作者のイワン・クラムスコイではなく。
特筆したいのはフョードル・ワシーリエフ『白樺林の道』と、
コンスタンチン・コローヴィン『ジナイーダ・ペルツェワの肖像』の
二枚です。というかこの二人がなかなか面白いです。
フョードル・ワシーリエフ(1850~1873)、夭逝したかれの17歳頃の作品です。
後に義兄となるロシアを代表する風景画家、シーシキン(1832~1898)の影響を
よく受けてはいるものの、『白樺林の道』(『森の散歩』と比べてみてください)
は人目を惹く画です。
すべての色の落し方が荒っぽくて、一見乱雑ですが、落される色はみんな整然と
していて、完成された画を既にこの時点で描いています。
ものの形を的確に見抜き、色に落とし込まれた、馬に乗る男とその馬をひく
農家の女性。背の高い白樺の木陰が作る陰影と、白樺がうけるてっぺんの光との
陰影の差を、同じ緑の色の違いを見極めて、色を配置してゆく目は確かな上、
まだ二十歳にもなっていない筆には迷いがありません。
描きたいと思ったものをかける画家になれたことは間違いないでしょう。
後に技巧を学び、描いたものにくらべると、まだ何かわけのわからない勢いが
ひしひし伝わってきます。
きっとこの画家、長生きして技術を磨き、磨いた上でまたここに戻ってくる
ことが出来た上で、名作を書く才能があったんじゃないかな、そういう気が
しました。後半の、ロマン主義に影響された絵の数々を見ていると、
技術の吸収の早さに、つくづくと惜しまれた才能を見出せると思います。
さて、この展覧会には、注意書きがありませんが3メートル以上離れて
観なければいけない画がふたつ、ありました。
ひとつは、イリヤ・レーピン(1840~1930)作『国会評議員、イワン・
ゴレムキンとニコライ・ゲラルドの肖像』。
最初、絵が並んでいる順番に、画面から体一つ離れたほどの近い距離で観たとき
は、他の絵とくらべてひどくべったりしてぼやけた絵だと思い、
見過ごしていました。
けれどもう一度館内を廻り『忘れえぬ女』の壁から斜めにふと目に入ったとき、
突然ピントが合って画面が動き出しました。
描かれた人間の印象がそこではじめてしっかりと目に入ったのです。
いかめしい軍服でしょうか、たすきがけの赤い絵の具が布になり、
顔を寄せ合って話し合うはねた髭の男二人の、スキのない輪郭が浮かび上がりま
す。
このレーピンという人は、『秋の花束』という絵がロシアの絵画史で有名
なのですが、こちらも離れてみるとぐっと引き締まるたたずまいの絵でした。
そしてもうひとつは、コンスタンチン・コローヴィン(1861~1939)作
『ジナイーダ・ペルツェワの肖像』です。図録の印刷では彼の絵、全部絵の具がぐ
ちゃっとつぶれて悲惨なことになっていますが、絵の前に立っても最初はやっぱり
つぶれた絵だなあと思いました。けれどどこか目が離せない、気になってしょうが
ない絵でもありました。
先のワシーリエフのように、どこか勢いが他の画家と違うのです。
そうしてくるっともう一周、最後を飾る絵を椅子の向かいから向き合ったとき、
『ジナイーダ~』嬢の白い首筋とドレスがくっきりと画面から浮き出してきて、
はっとさせられました。
映えます。すこし落とした照明の展示に、座る女が正面に出て、
赤みの混じる暗さの背景が後ろに下がり、
焦点が合って女の顔がよりはっきりと見えてくるのです。
ジナイーダ嬢はこちらを見ていました。あの『忘れえぬ女』のように。
軽く顎を上げて、値踏みするような視線。座る足の組み方。六メートルほどでしょ
うか、離れると舞台女優のようにライトが当たって堂々とした絵になります。
画集を広げてみて印刷のつたなさが、ほんとにもったいないです。
今回の展示は、絵の技法こそ、印象派やリアリズムと固まってはいますが、
のちに抽象画の巨匠カンディンスキーを生み出す少し前の時代の、
ロシアの生活の空気がどの絵にもいっぱいに詰まっていることは間違いないです。
美で知られる国の感覚に、初めて触れた思いでまったりと時間をすごしました。
最後に。
イリヤ・レーピンの『秋の花束』の女性。
南○キャンディースの彼女にそっくりなんですけど!!!
誰もつっこまないんですか!!!同じだよね!!ねえ!?!!(同意を求めるな)
渋谷の東急Bunkamuraで開催している、
「忘れえぬロシア 国立トレチャコフ美術館展」
に行きました。
車内ポスターなどで見かける、あの人を見下したまなざしの
魅力的な黒服の女性に目を留めた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
彼女の邦題が『忘れえぬ女』。
近くで見ると結構怖い顔でしたが、たしかに一度見たら頭に妬きつく
まなざしを持つ、それでいて静かな静かな画の彼女はほんとに素敵です。
が、今回目に止まったのはこの作者のイワン・クラムスコイではなく。
特筆したいのはフョードル・ワシーリエフ『白樺林の道』と、
コンスタンチン・コローヴィン『ジナイーダ・ペルツェワの肖像』の
二枚です。というかこの二人がなかなか面白いです。
フョードル・ワシーリエフ(1850~1873)、夭逝したかれの17歳頃の作品です。
後に義兄となるロシアを代表する風景画家、シーシキン(1832~1898)の影響を
よく受けてはいるものの、『白樺林の道』(『森の散歩』と比べてみてください)
は人目を惹く画です。
すべての色の落し方が荒っぽくて、一見乱雑ですが、落される色はみんな整然と
していて、完成された画を既にこの時点で描いています。
ものの形を的確に見抜き、色に落とし込まれた、馬に乗る男とその馬をひく
農家の女性。背の高い白樺の木陰が作る陰影と、白樺がうけるてっぺんの光との
陰影の差を、同じ緑の色の違いを見極めて、色を配置してゆく目は確かな上、
まだ二十歳にもなっていない筆には迷いがありません。
描きたいと思ったものをかける画家になれたことは間違いないでしょう。
後に技巧を学び、描いたものにくらべると、まだ何かわけのわからない勢いが
ひしひし伝わってきます。
きっとこの画家、長生きして技術を磨き、磨いた上でまたここに戻ってくる
ことが出来た上で、名作を書く才能があったんじゃないかな、そういう気が
しました。後半の、ロマン主義に影響された絵の数々を見ていると、
技術の吸収の早さに、つくづくと惜しまれた才能を見出せると思います。
さて、この展覧会には、注意書きがありませんが3メートル以上離れて
観なければいけない画がふたつ、ありました。
ひとつは、イリヤ・レーピン(1840~1930)作『国会評議員、イワン・
ゴレムキンとニコライ・ゲラルドの肖像』。
最初、絵が並んでいる順番に、画面から体一つ離れたほどの近い距離で観たとき
は、他の絵とくらべてひどくべったりしてぼやけた絵だと思い、
見過ごしていました。
けれどもう一度館内を廻り『忘れえぬ女』の壁から斜めにふと目に入ったとき、
突然ピントが合って画面が動き出しました。
描かれた人間の印象がそこではじめてしっかりと目に入ったのです。
いかめしい軍服でしょうか、たすきがけの赤い絵の具が布になり、
顔を寄せ合って話し合うはねた髭の男二人の、スキのない輪郭が浮かび上がりま
す。
このレーピンという人は、『秋の花束』という絵がロシアの絵画史で有名
なのですが、こちらも離れてみるとぐっと引き締まるたたずまいの絵でした。
そしてもうひとつは、コンスタンチン・コローヴィン(1861~1939)作
『ジナイーダ・ペルツェワの肖像』です。図録の印刷では彼の絵、全部絵の具がぐ
ちゃっとつぶれて悲惨なことになっていますが、絵の前に立っても最初はやっぱり
つぶれた絵だなあと思いました。けれどどこか目が離せない、気になってしょうが
ない絵でもありました。
先のワシーリエフのように、どこか勢いが他の画家と違うのです。
そうしてくるっともう一周、最後を飾る絵を椅子の向かいから向き合ったとき、
『ジナイーダ~』嬢の白い首筋とドレスがくっきりと画面から浮き出してきて、
はっとさせられました。
映えます。すこし落とした照明の展示に、座る女が正面に出て、
赤みの混じる暗さの背景が後ろに下がり、
焦点が合って女の顔がよりはっきりと見えてくるのです。
ジナイーダ嬢はこちらを見ていました。あの『忘れえぬ女』のように。
軽く顎を上げて、値踏みするような視線。座る足の組み方。六メートルほどでしょ
うか、離れると舞台女優のようにライトが当たって堂々とした絵になります。
画集を広げてみて印刷のつたなさが、ほんとにもったいないです。
今回の展示は、絵の技法こそ、印象派やリアリズムと固まってはいますが、
のちに抽象画の巨匠カンディンスキーを生み出す少し前の時代の、
ロシアの生活の空気がどの絵にもいっぱいに詰まっていることは間違いないです。
美で知られる国の感覚に、初めて触れた思いでまったりと時間をすごしました。
最後に。
イリヤ・レーピンの『秋の花束』の女性。
南○キャンディースの彼女にそっくりなんですけど!!!
誰もつっこまないんですか!!!同じだよね!!ねえ!?!!(同意を求めるな)