えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

雑考・オタさんたちについて

2009年05月24日 | 雑記
今日は、全面的に文句なのでどうかスルーしていただければ結構です。
とにかくがっくりな一日でした。

――

本日、某ゲームの同人イベントに足を運んだのですが。

こうした始まりからすると読み手には、
「あ、このひともオタクだ」となりますね。
その中で「たしなむ程度」という言葉はけっこう有効だと思うのです。

先にわたしは「たしなむ」人です。と前置きをしておきます。

「オタクだ」とその方が勝手に思われるのはともかく、
面と向って遠まわしにそういわれるのが気に染まないのですね。
客観的に見ても、自分がそうでないとした判断を押し付けられるのは
好みません。オタク、については後述します。

前置きが長くなりました。


以前よりも足を運ぶサークルを、目がどんどん限定しだしたので、
なんとなく底が見えてきたのかなあと思いました。
文は、よっぽどのことが無いと買わなくなりました。
たいがいのアニメ絵とBLの細い線が苦手で絵の好みということもあり、
結果はほぼ「てっ」ということになりました。

二次創作は、決して原作を超えないのはお約束です。
というか超えるほどのクォリティがどこかにあれば、
まず間違いなく自分の好きな方向へと創作に行きます。
だからどうしても、原作側が用意した枠組みの中でしか動けない、
そうしたくくりを「心地よい」と感じられるかどうかが二次に
はまるかどうかの分岐点だと思います。
どんなに想像を膨らませても、基点はやはり原作に置かれています。
つまるところキャラクターと言う「記号」に、メーカーから与えられた
お墨付きがないとダメみたいなのですね。
ここらへんが、オタクが異端視される理由じゃないかと思います。

自分達は絶対に創作の領域へコミットしないのに、創作物への愛着を
ひとしおに持っている分その狭い領域への執着が強い。
それゆえに、はまっている時はそこしか見えず、横への知識の拡張が
なく、発展性が非常に少ないのです。
(というか、原則としてイベントの場では対象ジャンルの話をしに皆来て
いるので、そう見えるのは仕方ない点も当然ありますが)

よく見られるオタさんに、知識をとうとうと開陳なされてご満悦のパターンが
浮かびますけれど、言葉の端々をひろってゆくと実は何も考えていない方が
多い。
その人の愛着は見えるけれど、そこから何を考えてゆくか、何を見出したか、
ということを、普通の視点で立ち戻って見直すということがないので、
結局そこから生み出されるものは一時の流行でしかなく、現象でしかないので
モノとして残ることがありません。
こうしたことは、とみに自分では創造しない「二次創作」のオタクに
当てはまると思います。

そうした目で見た今日のイベントは、ざっと見ても気を惹かれるものが
殆どなくて(さすがにコスプレは見事でしたけれど)、メーカーの発想が
婦女子な方面に媚びたせいか、彼女達の妄想の幅が狭く、ただ全てにおいて
着想のこわばった、趣味の悪さに染め上がっており、

「どうしょうもないなあ」

このジャンルもそろそろ末期かなあと思いつつ会場を後にしました。
また一つ趣味が消えそうでがっかり……してません。
きちんとした末路を辿って欲しいと願うばかりです。
コメント
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