国債とMMTについて、国立国会図書館の調査を学ばせていただく機会を得ましたので、ご報告いたします。
財源不足は、国債をジャンジャン発行すればよい、という人たちがいて、それまでは、国会で議決して「特別に」発行してきたはずなのにおかしいなあ、と思っていたら今度は、MMTと言って、お札を刷ればいいという人たちまで出てきています。
大田区政を見ていても、平気でルール破りをするようになっていますし、国は「国家戦略特区」で、ルールを破って一部の人たちでお金もうけしていいですよ!です。
今やマスコミは、軌道を逸した政治を支えるための広報(後方)支援にまわった感さえありますね。
こんな時こそ、私らしく主張したいと思います。
さて、国債ですが、財政の視点からみれば、足りない歳入(収入)を補填するための一つの手段ですが、財源は、税金で負担すべきものですから、将来の税収の先取りをしているということです。
私は、2つの点から、国債の発行は長期的に見れば抑制していかなければならないという立場です。
ひとつが、格差を拡大させるから。
もう一つが、国民生活を混乱に陥れるから。
そもそも、税金は、格差を是正する機能を持ちます。
お金持ちからより多く、そうでない人たちからは、免除したり減額したりします。
そうやって集めた税金で、社会保障などをおこない、さらに格差を是正するわけです。
ところが、国債は、タダで発行することができません。
利息を払わなければなりませんし、証券会社が売買すれば、手数料が発生します。
しかも、今は累積債務が1100兆円もありますから、まいとしの利息は10兆円になっています。
黙っていても毎年私たちが納める税金から、10兆円が国債を保有する金融機関に流れているのです。国債を保有する富裕層とそうでない人たちの所得は、毎年20兆円ひらいている、わけです。ちなみに、個人が所有する国債は、ほんのわずかです。
もうひとつ気になっているのが、インフレまで国債を発行し、インフレになったらやめればいいという論調です。
インフレが起きると物価が上がりますが、物価が上がってから、給料が上がるまでには時間差が生じます。
この時間差が、大きな混乱を招いたそうです。
財政破綻に起因したも国民生活への影響について、
国立国会図書館の研究員の方が集めた資料によれば、
【アルゼンチン】(1980年代末、2000年代初頭)
富裕層や生活に若干余裕のある庶民は、給料を受け取ると街の両替店に駆け込んでドルに換金した。ドルがある程度たまると、為替が自由化されている隣国ウルグアイに国境を越えてそれを持ち込んで、金融機関にドル預金として預ける人もいたそうです。現地紙によると高速フェリーや飛行機で国境を越えたドル資金は、一時、100万ドルに達した。
物価が上がれば、物が買えなくなりますから、市民の不満が爆発して、住民によるスーパー襲撃に事件に発展した。
【ブラジル】(1980年代末)
・政府公式の物価上昇率と、実際の物価上昇率に差が出て、値上げした店と値上げしなかった店で、値段が違い、安い店を情報交換しながら探し当てるという行動をとらざるを得なかった。インフレ下では、クレジットカード決済は加盟店に損失をもたらすため、カード決済を受け付けない店が増加した。
・ブラジルで相応の生活をしている中流市民の国外への脱出を促した。
・失業者の増加に伴い、サンパウロやリオデジャネイロでは1990年に入って1か月平均で、7~8千件の犯罪ドルを確保が発生し、その中にはひったくりのほか、強盗、用心誘拐、殺人などの凶悪犯罪も少なくなかった。
【ロシア】1998年
・国民の実質賃金は、1999年1~4月に前年同期比で約4割減少した。平均月給が最低水準(36ドル)に届かない貧困層が総人口の35%と前年同期に比べ13%も増加した。多くの国民は「食事は、パンジャガイモをふやし、肉や魚を減らす。衣類や靴はめったに買わず、車や家具は。公共輸送機関はなるべきただ乗りす」(現地紙)という生活で何とかしのいだ。
【第一次世界大戦後のドイツ】1922~1923年
・街では多くの店が「売り切れ」を宣言し店をしめた。
・子どもを思う母親たちが私邸内へと勝手に入り込み、残飯目当てにゴミ箱をあさった。
・軽犯罪や苦し紛れの犯罪がドイツのほぼ全域で横行した。屋根の鉛板が一夜にして盗まれたり、ガソリンが自動車のタンクから吸い取られる。盗みは計画的に行われ、官庁街や繁華街でも、警察はそれを防ぎきることができなかった。
【第二次大戦終了後の日本】1945~1948年
・食糧危機が深刻化し、1946年5月には、国民の怒りが「米よこせデモ」や「食料メーデー」という形で噴出した。
労働争議が頻発した。1947年10月にはヤミ米を口にすることを拒んだ東京地裁の判事が栄養失調で死亡した。
・都市生活者は、政府の配給だけでは栄養失調死する恐れがあるため、食料と物々交換するための衣料(特に夫人和服)をタンスから引き出してリュックサックに詰め、近郊の農村や地縁農家にまで買い出しに行き、米や穀類と交換した。(物々交換の活発化)家計の足しにしようと、焼け跡や空き地を利用して野菜などを栽培した。
・配給用の公定価格(マル公)とやみ市の価格(やみ値)との乖離は大きく、1945年末から1946年半ばにかけては、やみ値がマル公の30~40倍に達した。当時の平均的な都市家計の場合、やみ物資のへの依存度は、購入量ベースで約2割。金額ベースで7~8割に達していたという。残りの2割強は貯金を取り崩したり、財産の売却、親類、知人からの借入に頼らざるを得ないという状況だった。
MMT待望論のような状況になっていますが、
そもそも、MMTは、誰がどうやって発行するのかのルールさえ確立していません。
実現可能性の低い、現時点では机上の空論的な話のようです。
国債を多額に発行し、大量な武器購入をしている政府は、MMT状態だといった感はありますが、日本政府は、MMTに否定的な立場をとっています。
そうした意味で、MMT論は、日本政府の国債発行に、ある種の秩序感を与える効果があるようにも見えます。