いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

被告と議員の間。 distinction of defendant , diet

2010-11-05 20:01:10 | 日記
 (1)民主党の元幹事長が「政治とカネ」の問題で国会招致には応じない考えを示している。
理由が「司法で取り上げている(強制起訴)ものを、立法府が議論するのは三権分立から妥
当でない」というものだ。

 本人は「被告(defendant)」の立場で述べているのか、「国会議員(member of diet)」とし
て述べているのか、その区別もなく自己都合で都合よく述べているのではないのか、理解で
きない。
 「被告」の立場で述べているのなら、司法に事実解明を委ねるのは当たり前といえる。国民
が選んだ「国会議員」の立場からすれば、信任を受けた者がどうして「被告」の立場になって、
何に嫌疑をかけられているのか、事実はどうなのか、国民に説明責任(accountability)は生
じる。信任をした国民も知る権利がある。

 (2)本人は、要請されればいつでも自分の考えを説明すると表明しているのだから、国会議
員としての説明責任を果たすべきだ。その段になると、あれこれと理由にならない理由をつけ
て回避するのは、信任を受けた国民からの本人への信用を自ら損なうだけのものだ。
 機会がありながら、本人はいつでも説明すると言いながら、一向にその責任を果たさないこ
とが、政治不信であり、証拠不在の中での検察審査会の強制起訴につながっていることを自
覚すべきだ。

 本人は、論理を翻(ひるがえ)しているつもりで、整合性も妥当性も整理もしない自己都合の
アジテーション(agitation)だから、その矛盾が見栄見えで、売り言葉に買い言葉の空疎で稚
拙なものしか残らないのは残念だ。
 
 (3)元幹事長の論理は、都合のいい部分を都合よく貼り合わせての貼り絵指向の論拠だ。色
も違えば型も違う一貫性のないコントラスト(contrast)論だ。
 かっては(自民党時代)、政府の一員として国会、委員会審議で答弁、論戦をしたと本人は言
うが、権力を陰から操る党務手法以外に公開の場所での堂々とした政策論争を聞いた記憶が
ない、不思議なというより時代に合わない保守スタイル政治そのままだ。

 (4)それと「都合よく」で言うなら、時間の経過によって都合よく信念、信条、理論を簡単に切り
替える、変化させるのも元幹事長の手段、通例だ。
 特に今回問題となっている「政治とカネ」の問題は、元幹事長が検察を証拠不在のステージに
乗せての不起訴処分問題だ。

 いまだに国民の80%が、この「政治とカネ」の事件全容を疑問に感じて元幹事長の政治復帰
を望まない政治姿勢の中で、本人の政治信条にかけても国会議員としての説明責任は望むと
ころのはず、機会だ。まるで解決を遅らせるようなあの手この手の手法は、疑念をただ深かまら
せるだけだ。

 「政治とカネ」の問題に政治がいつまでも翻弄(ほんろう)されて結論を出さなくていては、国民
が支える固い政治力は生まれない。元幹事長はそこを考えるべきだ。

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