「私的な財津和夫論」の第24回は、「甲子園」です。
24 甲子園
89年のチューリップ解散コンサート(well)は、「これぞ財津サウンド」というコンポーザー財津和夫さんの歴史、名曲、名盤のセットリストとなった。ストロベリー・スマイル(89年)、丘に吹く風(82年)、shooting star(80年)と連続して歌われる、流れるように揺れてスピード感のある清流のような透明感のある美しい財津メロディが印象的です。
「丘に吹く風」は5分40秒のコンテンポラリー・オペラ(contemporary opera)を想わせる、変調も自在に織り込んだ財津トータルサウンドの大作です。「風が体をたたいてる ぼくの心をゆらしてる」の自然の風のイメージを「今でも 今でもぼくは信じてる どこかに確かな愛があると」への起承転結が見事なコンテンポラリー・オペラ、メロディラインです。
1975年12月にチューリップはアルバム「日本」を発表します。この年、チューリップは2月に「サボテンの花」を発表して4月に財津和夫さんの宇宙志向サウンドのアルバム「無限軌道」を発表します。
そうして12月に発表したアルバム「日本」はこのニューミュージックの流れを引き戻すように、財津和夫さんのビートルズに触発された以前の福岡時代の音楽の原点に立ち返ったかのようなアルバムコンセプトとなりました。
4月に発表したアルバム「無限軌道」は、収録曲の「たえちゃん」がレコード倫理に抵触するとして再収録したといういわくつきのアルバムとなりました。(年表)
そうして、その年末に発表されたのがアルバム「日本」です。
75年の日本は、中東戦争による第一次オイルショック(73年)の影響が日本経済にも深刻に波及して大手企業倒産が相次いだ年です。3月に山陽新幹線が博多まで開通、8月日本赤軍の大使館占拠による超法規的措置、9月の天皇の初めての訪米、12月に三億円事件の時効成立と、歴史的にも重たい話題、社会にも暗い影を落としていた年です。
その年の12月に発表されたチューリップのアルバム「日本」は、日常を、愛を、日本を非常にシニカル(cynical)に捉えたコンセプトで貫かれており、チューリップに降りかかった社会パラダイム(paradigm)問題(「たえちゃん」)と当時の社会情勢の暗い影へのアンチテーゼ(anti these)としての「反骨心」が伺えるアルバムです。
「せめて最終電車まで」、「ぼくのお話」、「あこがれ、花の東京」、「届かぬ夢」、「都会」そして財津さんがエピローグ(epilogue)にもってきたのが9分31秒の組曲「甲子園」です。日本社会の象徴、抱える問題へのアンチテーゼのテーマをセットリストにしました。
クレジットを見ると、詞は財津和夫さんで曲はチューリップとなっています。高校野球の夢の甲子園を目指したプレーヤーの青春の光と影を、希望と努力と出場と期待と応援とそして最終章のエラーによる敗北のたかだか「高校野球」が、社会からの失望をよくある現実感としてシニカルに表現した組曲としました。
財津和夫さんが本来持っているするどい社会分析、比喩がストレートに表現された、これも財津さんというアルバム「日本」です。
チューリップとして音楽活動も軌道に乗った75年、live act tulipの全国ツアーコンサート(9月開始)も開始した中での当時としては異色のチューリップアルバムとなりました。
当時発売の同アルバムジャケットが手元にあります。ダークブルー地に赤の手書き文字で「日本」、中央には白い円形ディッシュ(dish)の中央に梅ぼし、両脇にフォークとナイフが添えられています。
「日本」を料理して、食べる構図です。ジャケット裏面写真には、めずらしく財津さんが口ひげをたくわえてするどい視線を向けています。
財津さん、チューリップの当時の社会パラダイムへのアンチテーゼの「反骨心」が伝わってきます。
ちなみに、チューリップは76年6月の次のアリバム「all because of you guys」でビートルズに回帰します。
〔転載禁止です〕
24 甲子園
89年のチューリップ解散コンサート(well)は、「これぞ財津サウンド」というコンポーザー財津和夫さんの歴史、名曲、名盤のセットリストとなった。ストロベリー・スマイル(89年)、丘に吹く風(82年)、shooting star(80年)と連続して歌われる、流れるように揺れてスピード感のある清流のような透明感のある美しい財津メロディが印象的です。
「丘に吹く風」は5分40秒のコンテンポラリー・オペラ(contemporary opera)を想わせる、変調も自在に織り込んだ財津トータルサウンドの大作です。「風が体をたたいてる ぼくの心をゆらしてる」の自然の風のイメージを「今でも 今でもぼくは信じてる どこかに確かな愛があると」への起承転結が見事なコンテンポラリー・オペラ、メロディラインです。
1975年12月にチューリップはアルバム「日本」を発表します。この年、チューリップは2月に「サボテンの花」を発表して4月に財津和夫さんの宇宙志向サウンドのアルバム「無限軌道」を発表します。
そうして12月に発表したアルバム「日本」はこのニューミュージックの流れを引き戻すように、財津和夫さんのビートルズに触発された以前の福岡時代の音楽の原点に立ち返ったかのようなアルバムコンセプトとなりました。
4月に発表したアルバム「無限軌道」は、収録曲の「たえちゃん」がレコード倫理に抵触するとして再収録したといういわくつきのアルバムとなりました。(年表)
そうして、その年末に発表されたのがアルバム「日本」です。
75年の日本は、中東戦争による第一次オイルショック(73年)の影響が日本経済にも深刻に波及して大手企業倒産が相次いだ年です。3月に山陽新幹線が博多まで開通、8月日本赤軍の大使館占拠による超法規的措置、9月の天皇の初めての訪米、12月に三億円事件の時効成立と、歴史的にも重たい話題、社会にも暗い影を落としていた年です。
その年の12月に発表されたチューリップのアルバム「日本」は、日常を、愛を、日本を非常にシニカル(cynical)に捉えたコンセプトで貫かれており、チューリップに降りかかった社会パラダイム(paradigm)問題(「たえちゃん」)と当時の社会情勢の暗い影へのアンチテーゼ(anti these)としての「反骨心」が伺えるアルバムです。
「せめて最終電車まで」、「ぼくのお話」、「あこがれ、花の東京」、「届かぬ夢」、「都会」そして財津さんがエピローグ(epilogue)にもってきたのが9分31秒の組曲「甲子園」です。日本社会の象徴、抱える問題へのアンチテーゼのテーマをセットリストにしました。
クレジットを見ると、詞は財津和夫さんで曲はチューリップとなっています。高校野球の夢の甲子園を目指したプレーヤーの青春の光と影を、希望と努力と出場と期待と応援とそして最終章のエラーによる敗北のたかだか「高校野球」が、社会からの失望をよくある現実感としてシニカルに表現した組曲としました。
財津和夫さんが本来持っているするどい社会分析、比喩がストレートに表現された、これも財津さんというアルバム「日本」です。
チューリップとして音楽活動も軌道に乗った75年、live act tulipの全国ツアーコンサート(9月開始)も開始した中での当時としては異色のチューリップアルバムとなりました。
当時発売の同アルバムジャケットが手元にあります。ダークブルー地に赤の手書き文字で「日本」、中央には白い円形ディッシュ(dish)の中央に梅ぼし、両脇にフォークとナイフが添えられています。
「日本」を料理して、食べる構図です。ジャケット裏面写真には、めずらしく財津さんが口ひげをたくわえてするどい視線を向けています。
財津さん、チューリップの当時の社会パラダイムへのアンチテーゼの「反骨心」が伝わってきます。
ちなみに、チューリップは76年6月の次のアリバム「all because of you guys」でビートルズに回帰します。
〔転載禁止です〕