いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

教育条例。(君が代・愛国心) educational ordinance , patriotism

2011-08-17 19:47:32 | 日記
 (1)生命、財産、安全と同じように「教育」も国の政策の基本理念の柱のひとつだ。教育理念が、国が守る保障する生命、財産、安全のフレームワーク(frame work)をつくると言ってもいい。

 ノーベル賞、先端的科学技術開発力、かっての経済力で日本も国民教育水準の高さを実証してきた。教育投資が他の教育立国に比較して低い中で、小、中学校の初等教育課程の制度化、無償化、全国化の整備、高校、大学への進学率の高さが教育水準を支えて、民主党政権の高校無償化も仕組み、制度から教育水準を整備、充実させる政治理念の高い政策だ。(財源インバランスの基本問題はある。)
 教育行政と教育理念のインバランスが、近代化になって政治に利用、翻弄(ほんろう)され続けてきた。

 (2)大阪府(維新の会)は、教育行政の一環としてセレモニーでの国歌「君が代」の起立、斉唱を条例で義務付けるとした。セレモニーでの国歌(君が代)の使用には異論はないが、式典進行に支障もない常識的な行動範囲内(たとえば座ったまま)での「君が代」への秩序ある対し方、処し方は信条的に自由なもので、その「自由」こそが教育の本来的な幅の広さ普遍性の比較価値判断能力のすばらしさだ。

 「君が代」の起立、斉唱を規則で条例で拘束、義務付ける狭義独断の教育行政は、良識ある秩序ある行動、自由までも拘束して問題だ。
 行政と教育のかかわり、距離感は微妙で複雑だ。日本は戦前の統制教育で歴史的に不条理と言われる世界戦争に国民の多大な犠牲を強いた痛恨の歴史経験を持つ。

 この「反動」としての教育組織(現場教育思想)と行政(教育課程統一)の長い反目、反感が続いて、今日でも教育のインバランスは教育現場での混乱を招いて、教育の本質論を行政と教育(学校)現場がゆがめてきた結果だ。

(3)大阪府(維新の会)は、さらに「知事が設定した目標実現の責務を果たさない教育委員の罷免」、「愛国心(patriotism)」などの教育基本条例案を提出して、教育の行政指導、管理統制を強化する意向だ。

 教育は必ずしも行政からも学校現場からも「中立性」、普遍性が保たれてきたとは思わない。行政の統制教育、教育課程の一本化に学校現場からの教育思想運動にとたえず翻弄されてきた。
 戦争、原爆、駐留米軍基地(沖縄)、領土領海、平和そして国歌、国旗、愛国心と歴史の解釈、取り扱いに余りにフレキシブル(flexible)な歴史、思想が教育に持ち込まれて、政治化され政治に利用されてきたのだ。

 (4)フレキシブルな歴史観、思想と言うのは、「教育」の中で熟成された普遍的な思考力で、熟成されたその「時点」からもっと自由に各自の「理念」で考察するものだ。「愛国心」など本来条例、規律で規制服従させるものではない自由の発露だ。
 熟成された時に各自の理念で自由に考察するものを、初等教育の中にフレキシブルな行政指導で規律するものではない。

 判例は、国歌「君が代」の起立、斉唱を義務付けることは容認しているが、不服従者への罰則まで踏みこんで認めた訳ではない。
 「形がい化」した「成人」を見ていると、初等教育に府知事も都知事もガマンがならないのだろう。

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