いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

松の送り火。 a spirit-farewell fire

2011-08-09 19:45:36 | 日記
 (1)体操競技の評価点は、公正、公平の最大公約数をはかるために複数審判員の「最高点」と「最低点」を除いて、その他の平均点で判定される。
 
 被災地周辺の野菜、果物の安全性が「風評被害」を受けて一部消費者から敬遠されている。
 陸前高田市の記念物的な高田松原の「松」が大津波にのみ込まれて倒木、流失した。

 この倒木した「松」を、京都の「五山送り火」で被災地供養の寄せ書きの「薪(まき)」として燃やしてもらおうという地方の意向が、京都の関係者から放射性物質の汚染、拡散を懸念する声に中止された。(報道)

 この報道後、京都ではこの中止措置に抗議する電話、メールが250件も殺到したと言う。メディアも、この「薪」は放射線検査で異常性は見られなかったとの地元関係者の証言のもとに、京都関係者の中止対応を象徴的に批判する有り様だ。

 (2)陸前高田市の関係者も大震災以後の社会情勢を踏まえれば、「問題」を殊更(ことさら)に複雑化にやっかいな方向に持っていった極端な責任は問われよう。
 京都関係者に「送り火」を断られたあとは、地元で精霊の「迎え火(a spirit- welcoming fire)として燃やされたのだから、事の複雑化は尚更(なおさら)の感が否(いな)めない。

 世界唯一の被爆国の日本の原発対応、放射性物質汚染への「取組み方」は、核兵器保有国のそれとは違う(そうあるべき)ことを述べてきたが、日本の核(放射性物質)への社会アレルギーがあってこそ当然だと言える。福島県内の小、中学生1万5千名の転校を誰も批判できない。

 (3)国、東電(または原発事業者)の安全対応策の不備、不足、遅れの被害となった放射性物質汚染被害地域の住民の方の怒りは、日本は再び悲劇を繰り返した訳だからごく自然のことで、当然の結果だ。

 しかし、ここは冷静に「問題」を考えるならば、福島原発事故の「放射性物質汚染」問題と「安全、安心」の共有性、確立性の問題は切り離して考えなければならない。
 放射性物質汚染、被災地の危険性の拡大、拡散はなんとしても防がなければならないし、政府、東電の原発収束対応策に不備、不足、遅れはあるとは言え、「エリア」内での収束化に向けて対応中である。

 (4)こういう事態の中での、殊更に「問題」を複雑化、やっかいな方向に飛び火させた「松」の「五山送り火」要請だった。
 「エリア」内での原発事故収束化がせめても必要要件の原発事故の「被害の共有化」と「安全、安心の共有性」の「最高」、「最低」点を除外した「冷静な判断」が今は求められている。

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