いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

沖縄基地の人権侵害。 aggression upon a human right of okinawa

2012-02-22 19:25:17 | 日記
 (1)政府の普天間基地の辺野古沖移設に向けた環境影響評価(assessment)の飛行場建設関連評価に対して沖縄県知事は21日「環境保全は不可能」とする知事意見を政府(沖縄防衛局)に提出した。沖縄からの正式な宣戦布告だ。

 国際的に認知されたNGO団体「反差別国際運動」など3団体が「沖縄に駐留米軍基地の74%が集中しているのは歴史的な差別政策で人権侵害(aggression upon a human right 国連決議の人種差別撤廃条約違反)」(報道要約)としてジュネーブの人種差別撤廃条約の委員会に日本政府に対して同基地の県内移設計画の見直しなど勧告する申し立てを行った。

 同委員会は10年の定例審査で沖縄の基地集中に懸念を表明していた。日米外交、国内問題ではあっても一向に進展しない沖縄住民の安全、生活、権利の回復、改善のための国際人権保障問題として取り上げようという国際的な動きだ。

 (2)国連では、シリア政府軍による反政府組織、市民への多くの死傷者を出している武力弾圧の中止を求めた安保理決議案がロシアと中国の拒否権にあって成立せずに、逆にこれがアサド政権、政府軍に市民弾圧の口実を与えたとも言われている。
 ロシア、中国ともにシリアとの友好協調、協力関係にあり、またシリア「国内問題」への政治的介入となればそっくり自国の国内人権抑圧政策に飛び火しかねない事情もある。

 中東、アラブの春では、国連決議が欧州の軍事介入を招いたとの反省だ。国際政治力学では、「国内問題」の取り扱いは他国の干渉を認めない主権主義、不文律もあって「人権抑圧」との板挟み、外交益優先が続く。

 (3)沖縄基地の危険集中化も国際人権擁護上は日本政府の「怠慢」と映るが、中東、アラブでくり返される政府軍による市民弾圧、アフリカ内戦、北朝鮮問題に「比較」検証して、より「国内問題」としての比重、解決能力(solution)に委ねられるのではないのか。

 ただし、日米両政府ともに「国(防)益(profits of national defense)」と「人権(human rights)」の相関関係について根拠のある正当な説明責任が派生してくることは考えられる。

 (4)それはまた、安保理での加盟大国の拒否権による決定という理不尽、不条理な解決能力制度を持たない国連と危うい既得権死守の大国主義の世界実体を示す現実的役割でもある。
 市民弾圧の人権問題への国際的勧告も内政不干渉の不文律の壁、法的拘束力はなく、適用範囲の有意性もあってそもそも客観的判断のむずかしい問題だ。場合によってはシリア問題のように逆効果となるインバランス(imbalance)力も働く。

 (5)沖縄問題の解決を決定的に回避させているものに「国民的論議」の不足があげられる。この足元を米国(米軍)に見られてのやりたい放題外交だ。沖縄問題は、国民自らのものとして捉え、考える「国内問題」だ。
 この問題に限定して国民投票による国民の意思の確認、解決策を探ることも必要だ。

 (6)人権違反申し立ては国民的論議として話題提供ではあっても、そこまではすでに提起済みのことであり、政府対応への沖縄の反発も行き着くところまで行った。「国内問題」としての国民総意による問題、解決能力が問われている。
 
 平和にしても、経済にしても共存、進化のグローバル化意識は、本当はむずかしい「競争世界」にある。競争なくしては進化、発展もないというのが共通理念の世界観でもある。

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