いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

裁判員裁判の判決支持。 support of judgment by citizens

2012-02-14 19:46:59 | 日記
 (1)他人から依頼されたとする覚せい剤密輸事件で起訴された被告が、一貫して中身を知らなかったと主張し裁判員裁判(judgment by citizens)で無罪になった1審判決に、裁判員裁判で初めて検察が控訴して2審判決では逆転有罪になった。

 これに対しての最高裁で争われた上告審では、最高裁は実質審議(有罪、無罪の事実認定)に入る前に、1審判決に対する検察の控訴(2審)そのものに「合理的(rational)」な理由がないとして、2審の有罪判決を「破棄」して1審判決(無罪)が確定(1審判決支持)した。

 最近の裁判判断は、裁判員裁判を導入した経緯もあり良くも悪くも市民の積もり積もった不満、感情、主張を斟酌(しんしゃく)、理解した姿勢が強く反映されて、証拠心証のない事件でも「状況証拠」で立件、判断するケース、判例まで出て来ている。
 計算された「犯罪悪」を証拠不十分で逃げ得を許さない正義感情の代弁と証拠第一主義の裁判の公正、公平性、普遍性に対する不備、不十分さ、壁の両極を併せ持つものだ。

 (2)事実、真実は「ひとつ」しかない訳で、そこに到る立証能力、方式、方法はいくつもあって不思議ではないが、「論理則や経験則に照らして判断が合理的である」(最高裁判例)ことが最低求められている。

 現行裁判制度は、「ひとつ」の事実、真実判断のために裁判判断の公平、公正性を守り、被告の不利益まで見直し、擁護する制度で、3審制(地裁、高裁、最高裁)がとられている。
 基本的には、1審の裁判審理で検察、弁護側双方が周到に準備した証言、証拠に基づいて審理、立証、立件するもので、その判断に不服の場合に高裁(控訴)、最高裁(上告)審理が認められている。

 2審以降の裁判は1審の証言、証拠に基づき、判断、判決に対して「事実認定」、「解釈」、「法適用」の誤りがないのかの争いとなるのが裁判の原理原則だ。
 そうでなければ周到に資料、証拠、証言を調べ準備した1審裁判の「意義」が失われることになる。3審それぞれに初めから資料、証拠、証言を調べ直して判断しては、入り口論としての「裁判」の信頼性、公正性が初めから大きく損なわれるものとなるからだ。

 (3)今回の検察による控訴審(2審有罪)判決も、1審無罪の事実認定に対する「不合理性」を示すものではなく「新たな判断(1審審理で十分主張すべきこと)」を示しての有罪判決であった点を最高裁は原理原則に基づき1審判決の「不合理性」を示す必要(新たな重要証拠とか)があったとして(つまり、1審判決に不合理な点はないとして)、控訴そのものに理由がないと判断したのは裁判の原理原則、信頼性を守る妥当なものだ。

 もちろん、事実、真実は「ひとつ」であり調べ、証拠、審理に不備、不足、不十分があって、あらたに事実関係が明らかになれば再審請求は残されている。

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