いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

被害者と加害者の生命論。 safe in life theory of sufferer & assailant

2012-07-14 19:42:09 | 日記
 (1)人が人を裁く不条理(unreasonableness)の裁判だからせめて公正、公平を守る判断基準として「判例」が尊重される。
 最高裁が死刑判断の基準として示したのが83年警官から奪った拳銃でタクシー運転手ほかを次々と殺害して死刑判決を受けた永山事件だ。複数(3人以上)の殺害を死刑の判断基準とした。〔過去にこの条件にあてはまらずに最高裁が上告を認めたのは2件だけだ。(報道)〕

 07年に名古屋市内で犯罪目的で闇サイトでつながった男3人に金品を奪われ「残虐(cruelty)」な方法で殺害された女性(当時31才)の母親が上告して犯行男3人(うちひとりは控訴取り下げ、自ら1審死刑選択)に死刑判決を求めていた裁判で最高裁は1審の死刑判決を破棄して無期懲役に減刑した2審判決を支持して、他の2人の無期懲役刑が確定した。

 街頭に立って署名活動(33万人署名)までして「残虐」な犯罪行為の犯行者全員の死刑判決を求めた母親の願いは届かなかった。

 (2)犯行加害者は犯罪目的で闇サイトでつながるという悪質、悪意極まりない犯罪意図を持ち、被害者を拉致のうえ連れまわしてキャッシュカードの番号を聞き出し(被害者はニセ番号を教えた)た上に「残虐」な方法で殺害したものだ。(報道)
 情状酌量の余地もない悪質悪意極まりない犯罪行為だった。

 1審はその通り判断で男3人に死刑判決を下したが、2審では「ネットを悪用した犯罪を過度に強調するのは相当ではない」(報道)と犯意よりは形式主義に偏って無期懲役に減刑した。

 (3)世界の司法判断は「死刑廃止(abolition of capital punishment)」論が大勢を占めて、日本のように死刑制度導入国は今や少数派だ。
 今回の最高裁の判決には死刑判断基準の「判例」適用と合わせて、死刑廃止論の世界的すう勢が影響していることは十分考えられる。

 人が人を裁く不条理の世界(裁判)で国家権力(法相指示)で人の生命を奪うことの不道理(irrationality)、えん罪の危険性から死刑導入には判断リスクも大きい。
 一生を自由拘束の中で責任をとる無期懲役刑の方が心身のダメージは大きいとも言える。死刑廃止論は世界のすう勢とともに、人間社会の道理、定理として大勢になるのは理解できる。

 (4)しかし、日本の刑法は最高刑として死刑制度を導入している以上、「善良」な人間(被害者)の生命が、悪意悪質な犯罪行為者の生命よりも「軽い」というのは、法律上、精神上、心理心情上、整合性のある正当な判断とは言い難いものだ。

 裁判判断の道理、定理を尊重するならば、数合わせのような判断基準化ではなく、死刑制度を廃止することが法律(刑法)上の道理、定理だ。

 (5)そうでない以上、死刑判決は「被害者複数」が判断基準(判例)などと、被害者(sufferer)と加害者(assailant)の「生命」の価値に「差別」を加えるのは間違いだ。

 最高刑としての死刑判決は、犯罪抑止効果のうえに被害者の将来を奪う代償としての加害者の法律上の対価責任論としてあるものだ。
 被害者と加害者いづれの人間の生命も等しく価値は同格であって、けっして奪われるものではあってはならないものだ。

 そういう意義での死刑廃止論であって、加害者の生命、将来だけが斟酌(しんしゃく)されたり、また被害者の生命が不当に不幸に低く評価されたりすることのない、正義のパラダイム(paradigm)が確立されなければならない死刑廃止論だ。

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