(1)チャールトン・ヘストン演じる科学者が宇宙に飛び立って時が流れてたどり着いた惑星(planet)は猿が支配する星だった。ラストシーンが印象的で科学者が目にしたのは米国の自由の女神が砂に埋もれて半身を出していて、何とそこは核戦争のなれの果ての地球(globe)だったという結末だった。
核戦争で汚染破壊された地球にどうして猿が生存して支配するようになったのかは多分不明だったと思うが(確かに地底社会だったように思うが)、核戦争が人間世界を壊滅する危険の現実に直面している現代社会には象徴的なシーンだった。
(2)今年も日本では熊が冬眠から醒めて山に出没する季節を迎えた。秋田県鹿角市では5月下旬から3週間の内に男女4人が相次いで熊に襲われて死亡(報道)した。
これまでも東日本、東北、北海道の山岳地帯、里山、市街地に熊が出没、見かけられて人が襲われるニュースは耳にしてきたが、近年は人が撃退して死亡するということもなくて大ケガですんで幸いなことが多かった。
熊も進化して幸いにも少々軟弱になった印象が強かった。
(3)しかし、今年は短期間内に4人が熊に襲われて死亡するという近年では異例の事態を招いている。人がタケノコ、山菜取りに鬱蒼(うっそう)とした山林に入り込んで、好物を同じくする熊に遭って襲われての惨事を招いている。
専門家の話では「タケノコは熊にとってもごちそうなので最初はたまたま鉢合わせた人を襲ったのだろうが、それで人間を襲うことを『学習』したのではないのか」(報道、『』は本ブログ注)と分析している。
(4)テリトリー(territory)を守るために熊がテリトリーを同じくする人を襲うという自主防衛行動に出たということか。こちらの方にこそ安保法制による集団的自衛権の行使が求められる緊急事態のようだが、これも専門家によれば熊は「臆病な性質とされ、もともとは人を襲うことはない」(報道)といわれている。
長い間自然環境が守られた時代では熊と人間のテリトリーは十分に隔離されてそれぞれが生存、生息をくり返してきたが、近年の自然山林の環境荒廃により熊がエサを求めて下山して人間社会、生活領域にも度々出没見かけることが多くなってきていた。
(5)熊の気持ちを聞くことは叶わないが、「学習」(learning)する熊がいるとすればそれは人を襲うことだけではなくて、かっての時代のように共存共栄できる関係を学習してもらいたいところだ。
もちろんまず人間の方にこそその使命はある。そうはいっても現在の人間世界、社会のように自国を守るためにテリトリーを同じくする国同士が集団を構成して敵対国を攻撃する紛争、挑発時代では、熊も自衛行動を学習せざるを得ないところだろう。
(6)山里深く車で走っていると野生のリスを見かけたりすることがあるが、それはそれで心なごませるもので、しかし高速道路では鹿の出没を警告する看板もあって人間世界が野生動物のテリトリーに深く入り込んでいる現実を示すものだ。
野生動物にとってもはた迷惑な人間行動に映るのだろう。映画「猿の惑星」のように支配される人間にも理解を示し、好意を抱く猿がいたように熊の学習効果は今後はいかがなものになるのだろうか。
(7)やはり人間世界、社会の倫理観、自然と共生するパラダイム(paradigm)が問題解決には必要になってくるのだろう。
自然環境の破壊は人間の近代化がもたらしたものであり、地球環境の保全のために国際的に果たす役割は人間に課せられている。
核戦争で汚染破壊された地球にどうして猿が生存して支配するようになったのかは多分不明だったと思うが(確かに地底社会だったように思うが)、核戦争が人間世界を壊滅する危険の現実に直面している現代社会には象徴的なシーンだった。
(2)今年も日本では熊が冬眠から醒めて山に出没する季節を迎えた。秋田県鹿角市では5月下旬から3週間の内に男女4人が相次いで熊に襲われて死亡(報道)した。
これまでも東日本、東北、北海道の山岳地帯、里山、市街地に熊が出没、見かけられて人が襲われるニュースは耳にしてきたが、近年は人が撃退して死亡するということもなくて大ケガですんで幸いなことが多かった。
熊も進化して幸いにも少々軟弱になった印象が強かった。
(3)しかし、今年は短期間内に4人が熊に襲われて死亡するという近年では異例の事態を招いている。人がタケノコ、山菜取りに鬱蒼(うっそう)とした山林に入り込んで、好物を同じくする熊に遭って襲われての惨事を招いている。
専門家の話では「タケノコは熊にとってもごちそうなので最初はたまたま鉢合わせた人を襲ったのだろうが、それで人間を襲うことを『学習』したのではないのか」(報道、『』は本ブログ注)と分析している。
(4)テリトリー(territory)を守るために熊がテリトリーを同じくする人を襲うという自主防衛行動に出たということか。こちらの方にこそ安保法制による集団的自衛権の行使が求められる緊急事態のようだが、これも専門家によれば熊は「臆病な性質とされ、もともとは人を襲うことはない」(報道)といわれている。
長い間自然環境が守られた時代では熊と人間のテリトリーは十分に隔離されてそれぞれが生存、生息をくり返してきたが、近年の自然山林の環境荒廃により熊がエサを求めて下山して人間社会、生活領域にも度々出没見かけることが多くなってきていた。
(5)熊の気持ちを聞くことは叶わないが、「学習」(learning)する熊がいるとすればそれは人を襲うことだけではなくて、かっての時代のように共存共栄できる関係を学習してもらいたいところだ。
もちろんまず人間の方にこそその使命はある。そうはいっても現在の人間世界、社会のように自国を守るためにテリトリーを同じくする国同士が集団を構成して敵対国を攻撃する紛争、挑発時代では、熊も自衛行動を学習せざるを得ないところだろう。
(6)山里深く車で走っていると野生のリスを見かけたりすることがあるが、それはそれで心なごませるもので、しかし高速道路では鹿の出没を警告する看板もあって人間世界が野生動物のテリトリーに深く入り込んでいる現実を示すものだ。
野生動物にとってもはた迷惑な人間行動に映るのだろう。映画「猿の惑星」のように支配される人間にも理解を示し、好意を抱く猿がいたように熊の学習効果は今後はいかがなものになるのだろうか。
(7)やはり人間世界、社会の倫理観、自然と共生するパラダイム(paradigm)が問題解決には必要になってくるのだろう。
自然環境の破壊は人間の近代化がもたらしたものであり、地球環境の保全のために国際的に果たす役割は人間に課せられている。