9月末の東海ラジオの財津和夫インタヴュー番組に元東海ラジオディレクターの塩瀬修充さんがゲスト出演した。80才を迎えたということだが、以前と変わらない元気な語り口だった。
塩瀬さんの語り口を知らない人にとっては年相応の感想を持ったかもしれないが、そもそもしわがれ声でトツトツと一語一語ゆっくり話す語り口で以前とまったく変わらない元気さだった。
今回の番組での財津さんとのやり取りで印象に残ったのは、
①財津和夫さんの作詞家(lyricist)としての力量を認めている。
②チューリップ50周年コンサートもできるんじゃないのか。
の二点であった。
①財津和夫さんとの出会いについて、大先輩の草野昌一さんから新田和長さんとともに応援しているチューリップのデモテープ(魔法の黄色い靴)が送られてきて、これを聞いて「日本にもこんな言葉を書くミュージシャンが出てきたんだ」と感心して、さっそくチューリップに東海ラジオに来てもらってスタジオで演奏してもらってからの付き合いだ。
その後、財津和夫さんをパーソナリティにした東海ラジオ「人生ゲーム」は第1期と2期をあわせて30年近くの長い番組となった。最初、財津さんはラジオのパーソナリティには乗り気でなかったが、塩瀬さんがコンサートに役に立つからと口説いて実現した。
財津さんからは30年近い番組の間、当時ディレクターの塩瀬さんから一度もああしろ、こうしろ、これはダメだと言われたこともない自由でやさしいディレクターだったと、ほかでは数々の武勇伝は聞いてますがということだった。
財津さんはこれまでコンポーザーとして800曲近い楽曲をつくってニューミュージックの先駆的な多様で多彩、多作のメロディメーカーとして有名だが、これは言うまでもないというところか、塩瀬さんの口からは財津和夫さんを作詞家として(その力量を)認めているとの発言があった。
初めてチューリップのデモテープを聞いた時の「日本にもこんな言葉を書くミュージシャンが出てきたんだ」の塩瀬さんの感慨を聞くとよく理解できた。
財津さんはこれまで言葉(lyrics)をいかすすばらしいメロディをつくってきたが、財津さんの書く歌詞は映像となってすぐによみがえる、浮かぶ写実性(realistic)、表現力がすぐれて、ラヴソングも感情論だけでない文学性の高い印象深いものが多いので、作詞家としての財津さんの力量の高さには同感だ。
②現在進行中のチューリップ45周年記念コンサートは安部俊幸さんの追悼も込めてのもので、同番組でもアナウンサーは今回でチューリップコンサートは見納めだと言っていた。
財津さんは以前にもこれでチューリップコンサートの全国的なツアーコンサートはおしまいと言ってきて、でも今もやっていると完全には否定はしなかった。
塩瀬さんは、財津さんと姫野達也さんが4っつ違いで5年後に姫野さんが今の財津さんの年とほぼ同じだから50周年コンサートはできるんじゃないかと語りかけていた。
当人を前にしてその時73才を迎える財津さんのことには触れなかったが、そうなれば財津さんはやるだろうという前提のような話しぶりだった。
財津さんのチューリップへの特別な想い、こだわりをよく知っている塩瀬さんならではの発言だったように伝わってきた。
チューリップ50周年コンサートは生前、安倍俊幸さんもコンサートで述べていたことがある。
その時は財津さんは冗談として受け流していたが、財津さんとしてはチューリップ・オーナーとして他のメンバーに頼って(チューリップが成立しない)チューリップをやることはないので、財津さん次第ということには変わりはない。
その時の年令的に全国ツアーコンサートということは考えにくいが、開催場所限定のチューリップ50周年コンサートは考えられないこともない。
財津さんも好きな酒をやめてストイックに音楽に向き合って対峙している。多分、P.マッカートニー、小田和正さんの動向にも影響はあるだろうが、これからは楽しんで自由にやってほしいというのが望みだ。
塩瀬さんの語り口を知らない人にとっては年相応の感想を持ったかもしれないが、そもそもしわがれ声でトツトツと一語一語ゆっくり話す語り口で以前とまったく変わらない元気さだった。
今回の番組での財津さんとのやり取りで印象に残ったのは、
①財津和夫さんの作詞家(lyricist)としての力量を認めている。
②チューリップ50周年コンサートもできるんじゃないのか。
の二点であった。
①財津和夫さんとの出会いについて、大先輩の草野昌一さんから新田和長さんとともに応援しているチューリップのデモテープ(魔法の黄色い靴)が送られてきて、これを聞いて「日本にもこんな言葉を書くミュージシャンが出てきたんだ」と感心して、さっそくチューリップに東海ラジオに来てもらってスタジオで演奏してもらってからの付き合いだ。
その後、財津和夫さんをパーソナリティにした東海ラジオ「人生ゲーム」は第1期と2期をあわせて30年近くの長い番組となった。最初、財津さんはラジオのパーソナリティには乗り気でなかったが、塩瀬さんがコンサートに役に立つからと口説いて実現した。
財津さんからは30年近い番組の間、当時ディレクターの塩瀬さんから一度もああしろ、こうしろ、これはダメだと言われたこともない自由でやさしいディレクターだったと、ほかでは数々の武勇伝は聞いてますがということだった。
財津さんはこれまでコンポーザーとして800曲近い楽曲をつくってニューミュージックの先駆的な多様で多彩、多作のメロディメーカーとして有名だが、これは言うまでもないというところか、塩瀬さんの口からは財津和夫さんを作詞家として(その力量を)認めているとの発言があった。
初めてチューリップのデモテープを聞いた時の「日本にもこんな言葉を書くミュージシャンが出てきたんだ」の塩瀬さんの感慨を聞くとよく理解できた。
財津さんはこれまで言葉(lyrics)をいかすすばらしいメロディをつくってきたが、財津さんの書く歌詞は映像となってすぐによみがえる、浮かぶ写実性(realistic)、表現力がすぐれて、ラヴソングも感情論だけでない文学性の高い印象深いものが多いので、作詞家としての財津さんの力量の高さには同感だ。
②現在進行中のチューリップ45周年記念コンサートは安部俊幸さんの追悼も込めてのもので、同番組でもアナウンサーは今回でチューリップコンサートは見納めだと言っていた。
財津さんは以前にもこれでチューリップコンサートの全国的なツアーコンサートはおしまいと言ってきて、でも今もやっていると完全には否定はしなかった。
塩瀬さんは、財津さんと姫野達也さんが4っつ違いで5年後に姫野さんが今の財津さんの年とほぼ同じだから50周年コンサートはできるんじゃないかと語りかけていた。
当人を前にしてその時73才を迎える財津さんのことには触れなかったが、そうなれば財津さんはやるだろうという前提のような話しぶりだった。
財津さんのチューリップへの特別な想い、こだわりをよく知っている塩瀬さんならではの発言だったように伝わってきた。
チューリップ50周年コンサートは生前、安倍俊幸さんもコンサートで述べていたことがある。
その時は財津さんは冗談として受け流していたが、財津さんとしてはチューリップ・オーナーとして他のメンバーに頼って(チューリップが成立しない)チューリップをやることはないので、財津さん次第ということには変わりはない。
その時の年令的に全国ツアーコンサートということは考えにくいが、開催場所限定のチューリップ50周年コンサートは考えられないこともない。
財津さんも好きな酒をやめてストイックに音楽に向き合って対峙している。多分、P.マッカートニー、小田和正さんの動向にも影響はあるだろうが、これからは楽しんで自由にやってほしいというのが望みだ。