(1)婚姻して双方が別姓名だった夫婦がどちらかの姓名を名乗るのは、社会的身分関係、権利関係をわかりやすくする、伝える方法論(methodology)としては社会利益を正当に受ける意味からも必要性はあると考える。
法律上、夫婦が話し合って「どちら」かの姓名を名乗ることができるので、一定の自由選択制度でもある。
日本は儒教思想社会に根付いた男性優位社会からその後人口比率の高い女性の社会進出が必然的となって、夫の姓を名乗っていた女性も社会、経済活動の主体となって一定の存在感を持ち始めると、婚姻前の資格取得などによる活動のために旧姓を名乗ることが必要あるいは有利になるケースも増え始めている。
(2)女性の旧姓使用(use of formerly name)さらに夫婦別姓問題も政治、法律、社会問題として注目を集める社会になってきた。それを解決する夫婦別姓問題は政治課題として取り組まれたが、自民党中心の多くの保守的議員のなかからこれまで日本の歴史、社会のなかで長く培(つちか)われてきた夫婦制度、家族社会形態を壊すものだとして反対意見が多く、今では立ち消え状態になっている。
一般社会ではこうした女性からの強い旧姓使用の必要性、要望から、法律論とは別にそれぞれが必要性に応じて女性の旧姓使用を独自の判断、範囲内で通称(commonly called)使用を認める傾向にある。
(3)女性教諭が勤務する学校に旧姓の通称使用を求めたところ、学校側から「公人である教職員の業務には法に基づいた呼称が妥当」(報道)と拒否されたことに対する訴訟で、東京地裁は「(旧姓を)通称として使う利益は法律上保護される」(同)と認めたうえで学校側の対応を「職員を特定するために戸籍姓使用を求めることは合理性がある」(判決要旨)と女性教諭の訴えを退けた。
戸籍上の姓名とは別に通称名の使用を認める傾向の社会情勢のなかで、随分と型通りの法律論に固執して述べた判決だった。
(4)問題にしたいのは判決のなかで「医師など旧姓が認められない国家資格も多数ある。戸籍姓と同じように旧姓を使用することが社会に根付いているとまで認められない」(判決要旨)としたことだ。
「(旧姓を)通称として使う利益は法律上保護される」としながらも「社会に根付いているとまで認められない」ことを理由に旧姓使用を認めない立場を擁護したのは理論構成的に矛盾しておりおかしな判断だ。
(5)仮に「社会に根付いていない」としても「法律上保護される」ものであれば、司法、裁判所として旧姓使用を望む権利を保障すべきであった。
そもそも「旧姓が認められない国家資格も多数ある」として、だからそれに甘んじてあたかもガマンしなさいとばかりに旧姓使用を控えるべき、社会に根付いていないから控えるべきだとでもいうような論理展開は、法律の適合性、優位性、救済性を論ずる司法、裁判所の見解としては偏向した不適切な判断といわざるを得ない。
(6)冒頭に述べたように夫婦は「どちら」かの姓名を名乗る選択の自由は一定程度保障されているが、夫の姓名を名乗る社会的傾向は依然として根強く、司法、裁判所としても女性の権利、要望を前向きに擁護していいのではないのか。
女性の自立につながり、これからの時代、社会の成長に必要な女性活躍社会にとっては欠かすことのできない要素だ。
法律上、夫婦が話し合って「どちら」かの姓名を名乗ることができるので、一定の自由選択制度でもある。
日本は儒教思想社会に根付いた男性優位社会からその後人口比率の高い女性の社会進出が必然的となって、夫の姓を名乗っていた女性も社会、経済活動の主体となって一定の存在感を持ち始めると、婚姻前の資格取得などによる活動のために旧姓を名乗ることが必要あるいは有利になるケースも増え始めている。
(2)女性の旧姓使用(use of formerly name)さらに夫婦別姓問題も政治、法律、社会問題として注目を集める社会になってきた。それを解決する夫婦別姓問題は政治課題として取り組まれたが、自民党中心の多くの保守的議員のなかからこれまで日本の歴史、社会のなかで長く培(つちか)われてきた夫婦制度、家族社会形態を壊すものだとして反対意見が多く、今では立ち消え状態になっている。
一般社会ではこうした女性からの強い旧姓使用の必要性、要望から、法律論とは別にそれぞれが必要性に応じて女性の旧姓使用を独自の判断、範囲内で通称(commonly called)使用を認める傾向にある。
(3)女性教諭が勤務する学校に旧姓の通称使用を求めたところ、学校側から「公人である教職員の業務には法に基づいた呼称が妥当」(報道)と拒否されたことに対する訴訟で、東京地裁は「(旧姓を)通称として使う利益は法律上保護される」(同)と認めたうえで学校側の対応を「職員を特定するために戸籍姓使用を求めることは合理性がある」(判決要旨)と女性教諭の訴えを退けた。
戸籍上の姓名とは別に通称名の使用を認める傾向の社会情勢のなかで、随分と型通りの法律論に固執して述べた判決だった。
(4)問題にしたいのは判決のなかで「医師など旧姓が認められない国家資格も多数ある。戸籍姓と同じように旧姓を使用することが社会に根付いているとまで認められない」(判決要旨)としたことだ。
「(旧姓を)通称として使う利益は法律上保護される」としながらも「社会に根付いているとまで認められない」ことを理由に旧姓使用を認めない立場を擁護したのは理論構成的に矛盾しておりおかしな判断だ。
(5)仮に「社会に根付いていない」としても「法律上保護される」ものであれば、司法、裁判所として旧姓使用を望む権利を保障すべきであった。
そもそも「旧姓が認められない国家資格も多数ある」として、だからそれに甘んじてあたかもガマンしなさいとばかりに旧姓使用を控えるべき、社会に根付いていないから控えるべきだとでもいうような論理展開は、法律の適合性、優位性、救済性を論ずる司法、裁判所の見解としては偏向した不適切な判断といわざるを得ない。
(6)冒頭に述べたように夫婦は「どちら」かの姓名を名乗る選択の自由は一定程度保障されているが、夫の姓名を名乗る社会的傾向は依然として根強く、司法、裁判所としても女性の権利、要望を前向きに擁護していいのではないのか。
女性の自立につながり、これからの時代、社会の成長に必要な女性活躍社会にとっては欠かすことのできない要素だ。