いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

制服の教育エラー。 educational error of uniform

2018-02-15 19:48:18 | 日記
 (1)公立小学校にも制服があるとは知らなかったが、制服の趣旨は家庭の収入の格差が子どもの学校生活に反映しない平等性と学ぶ規律性、一体性を保つことが考えられる。

 子どもの自由で寛容、素直なところを伸ばそうと思えば、着るものも含めて自由で創造的なことが求められる。私学の小学生から学帽、学生服スタイルを見ていると、妙に決まっている凛々(りり)しい感じはするが、やはりお仕着せがましく、かしこまりすぎている不自由さ、違和感はある。

 (2)子どもの貧困率が世界的にも高いといわれる日本で、東京銀座にある区立小学校で「アルマーニ」がデザインした標準服(制服)を採用することが話題になっている。
 標準服にセーターなどを加えると8万円(報道)を超える高額なもので、区教委は「着用は強制ではない」(同)と説明している。

 「強制」ではない標準服(制服)をどういう目的でつくるのかますますわからない説明で、まるでこれでは区教委とアルマーニ側とで利益癒着があるのではないのかの不信もでてくる。

 (3)同小学校は明治11年銀座に創立(報道)の伝統と歴史のある小学校とはいえ区立小学校でブランド力でもあるまいし、区立小学校といえば選抜試験もなく区域の子どもが自動的に通学する義務教育課程の小学校であり、いくら教育の自由が保障されているとはいっても自由で普遍的な教育内容のことであり、教育行政が小学校から他校との格差、差別化を助長する高級、高額な制服(標準服)を指定するなどとは、教育行政のゆがみ(bias)であり教育の目的、本質から外れた教育の形がい化をあらわすものだ。
 今日的教育(行政)の低下、劣化を象徴する話題だった。

 (4)それがまた区教委の説明で着用(制服)は「強制」ではないというなら、子どもの制服着用と未着用(自由服)とが混在する小学校生活というのは、どういう教育方針、効果を期待しているものなのか、自由で公正、公平、平等な社会性を身につける、学ぶ成長過程において、子どもの家庭収入、生活事情に格差を植えつけて社会差別化をはかることにもなり理解できない。

 区教委、区立小学校の誤った「見栄教育」としか映らないものだ。教育とは対極にある考え方だ。

 (5)初等、中等、高校教育は教員の働きすぎ、多忙が労働過多で社会問題化しているが、一方でゆとり教育により昼過ぎから街角には生徒があふれる現実もあり教育レベル、質の低下も指摘されているが、今日的教育問題は教員の労働時間(課外活動指導も含めて)問題とともに、まずはそこに直結する教育内容、指導方法論の改革が前提で必要だ。

 制服問題でうつつを抜かしている場合ではない。

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