(1)冨重圭以子さん(62)が病気で亡くなった。まず、ほとんどの人は知らない名前だろう。毎日新聞のスポーツ記事を書いて、専門編集委員であった。
冨重さんのスポーツ記事は、伝えるだけでなく、独自の視点、観点、取材からの評論が加わって特徴だった。
好調なら好調で、不調なら不調で何をやっているから、何が不足しているからだけでなく、それはどこからくるのか考え、生き様、人となりまで分析して、経過もていねいに取材して起承転結に織り込んで書き込む記事だった。短くても読みごたえがあった。
②活動、成績中心のスポーツ記事ではあるが、社会性、論理性、文学的、理論的でことさらにそれらを強調するわけでもなく言葉をつないで対象を浮かび上がらせる記事力があった。今の新聞に欠けている批評力の記事、記者だった。
③どこの新聞にも名物記者はいるが、記事で冨重さんの名前を見るだけで読んでみようと引きつけられる力があった。
(2)そこで今朝の新聞トップ記事は平昌五輪が終わったばかりなのに「五輪壮行会 非公開」だった。何事かと思いきや、JOCが平昌五輪代表選手の所属先(大学、企業、団体など)に対して代表選手の壮行会などを非公開にするよう指示したことを受けて、私大協が政府に改善を求める要望書を提出するというものだ。
②JOCは代表選手の壮行会を大々的に取り上げられると、それはたとえば所属大学、企業、団体の営利宣伝行為に利用されるからとIOCのスポンサー規則に従って「抵触すれば選手の大会資格をはく奪する可能性もある」(報道)と要請していた。
報道によるとIOCは「教育的な利用は問題ない」と回答しているという。JOCの型にはまった硬い思考力の結果だ。
③五輪代表に選出されることがごく限られた人の名誉なことで、その所属先も国民に広く周知される。ことさらに壮行会に限って非公式にするというJOCの理解、対応では、世界的、国家的、国民的五輪の共有、共通財産でもある特別な代表選手を一大学、一企業、一団体の所属キャラクターとしてとらえる狭い裁量をあらわすもので、IOCをはじめ大学など所属先との認識、感覚のギャップの大きさを思い知らされる。
④すぐ横の記事では昨日帰国した平昌五輪メダリストの揃い踏み写真が載っていた。女性メダリストが多く、まるでCAのユニフォームかと見まごうばかりの濃紺色のブレザースタイルでメダリストのはなやかさはなく、そのメダリストの笑顔が似つかわしくはない固い不都合な雰囲気が伝わってきた。
⑤これもJOCの乗り遅れた感覚、認識なのだろう。いつかの五輪では腰吊りスラックスの選手も話題になったが、もっと自由ではなやかでおおらか、自主的な選手の存分な活躍が国民の財産だ。
冨重さんのスポーツ記事は、伝えるだけでなく、独自の視点、観点、取材からの評論が加わって特徴だった。
好調なら好調で、不調なら不調で何をやっているから、何が不足しているからだけでなく、それはどこからくるのか考え、生き様、人となりまで分析して、経過もていねいに取材して起承転結に織り込んで書き込む記事だった。短くても読みごたえがあった。
②活動、成績中心のスポーツ記事ではあるが、社会性、論理性、文学的、理論的でことさらにそれらを強調するわけでもなく言葉をつないで対象を浮かび上がらせる記事力があった。今の新聞に欠けている批評力の記事、記者だった。
③どこの新聞にも名物記者はいるが、記事で冨重さんの名前を見るだけで読んでみようと引きつけられる力があった。
(2)そこで今朝の新聞トップ記事は平昌五輪が終わったばかりなのに「五輪壮行会 非公開」だった。何事かと思いきや、JOCが平昌五輪代表選手の所属先(大学、企業、団体など)に対して代表選手の壮行会などを非公開にするよう指示したことを受けて、私大協が政府に改善を求める要望書を提出するというものだ。
②JOCは代表選手の壮行会を大々的に取り上げられると、それはたとえば所属大学、企業、団体の営利宣伝行為に利用されるからとIOCのスポンサー規則に従って「抵触すれば選手の大会資格をはく奪する可能性もある」(報道)と要請していた。
報道によるとIOCは「教育的な利用は問題ない」と回答しているという。JOCの型にはまった硬い思考力の結果だ。
③五輪代表に選出されることがごく限られた人の名誉なことで、その所属先も国民に広く周知される。ことさらに壮行会に限って非公式にするというJOCの理解、対応では、世界的、国家的、国民的五輪の共有、共通財産でもある特別な代表選手を一大学、一企業、一団体の所属キャラクターとしてとらえる狭い裁量をあらわすもので、IOCをはじめ大学など所属先との認識、感覚のギャップの大きさを思い知らされる。
④すぐ横の記事では昨日帰国した平昌五輪メダリストの揃い踏み写真が載っていた。女性メダリストが多く、まるでCAのユニフォームかと見まごうばかりの濃紺色のブレザースタイルでメダリストのはなやかさはなく、そのメダリストの笑顔が似つかわしくはない固い不都合な雰囲気が伝わってきた。
⑤これもJOCの乗り遅れた感覚、認識なのだろう。いつかの五輪では腰吊りスラックスの選手も話題になったが、もっと自由ではなやかでおおらか、自主的な選手の存分な活躍が国民の財産だ。