(1)103万円の「壁」(超えると所得課税)、106万円の「壁」(超えると社会保険料負担)と「壁」論争が注目されている。「壁」というのは目の前にある視覚的に乗り越えられない問題というイメージが強く、古くは東西冷戦の「ベルリンの壁」、最近ではトランプ前政権でのメキシコ国境沿いの不法移民阻止の「壁」建設があり、不条理ではあっても越えられない「現実」の存在があり、冒頭の「壁」問題も「壁」といえば乗り越えられない「現実」を示唆するもので、つまりは「基準」の問題であり頭の中の観念的な「基準」と考えれば変えられないものはなく社会の要請に応えられない不条理であれば見直し、変更は当然、必要だ。
(2)「壁」の表現は複雑で難解な入り乱れた仕組み、システムであちらを立てればこちらが立たず乗り越える問題が多くむずかしいことを表現するものとして使われている。収入が増えれば負担も増えて結果として「手取り」が減るというもので、収入を減らしたくない国民は絶えず働き先を変えるなど考えなければならずこんな面倒なことはなく、一方で103万円の「壁」が上がれば国、地方は減税となり予算財源確保の問題が起きて上げ幅をどうするのかの議論になる。
(3)これは政治的、経済的、社会的に解決されなければならない問題なので議論、検討はしなければならないが、「壁」の表現がふさわしいのか、正当なのか、「壁」でことさらに問題の高さを強調したい思惑、リアリズムが感じられる。
上述したように「基準」であれば制度上の問題として適正、正当に見直し、検討をすればいいだけのことだ。
(4)国民民主が衆院選で「手取りを増やす」をスローガンに所得課税103万円上限引き上げを「壁」として強調して若者中心に支持を広げて4倍の28議席を獲得して、自公過半数割れの中で政権維持のキャスティングボートを握ることになった。
ワン・イシュー利益追求の「壁」効果は大きかった。「基準」では減税負担の大きさなど様々な問題が相互に作用して、乗り越えるのも難解だった。
(5)国民民主の玉木代表の個人的行動批判問題は、乗り越えなければならないのは高い倫理という「壁」そのものだ。