(1)コロナ感染、コロナ社会が描き出したのは、国家の統治能力(national government)だった。世界最大人口14億人の中国からコロナ感染拡大が進み、またたく間に世界各国に広がり、米国、インド、ブラジルなど国民人口の多い国家で今なおオミクロン株の変異を経てコロナ感染が広がりをみせている。
(2)人口14億人の中国国家が適正に統治できるのか、民主主義では共和国、連邦、合衆国制のような形態が求めれて1国で統治するとすれば人権、自由、思想統制の1党独裁国家でもなければ統治は行き届かずに、どちらにしても無理、歪みがある。
民主主義国家の米国も人口3億人(世界3位)で州政府と連邦政府の合衆国統治体制をとっているが、コロナ対策ではそれぞれの事情に合わせてコロナ対策に一貫性、統一性、連携性がとれずにコロナ感染者は世界で最も多い6千万人、死亡者83万人という実情だ。
(3)中国が仮に共和国、連邦制統治であれば感染実情は初期段階で早期に抑えられたのか、その可能性も否定はできない。武漢市で感染が報じられたときに、武漢市の行政責任者が北京政府の指示待ちで初期感染対策をとれなかったと当事者が語っており(報道)、人口14億人共産党一党独裁国家の問題点を浮き彫りにした。
(4)日本は人口1億2千万人で小さな島国であること、日ごろからカゼなど感染対策のマスク社会が進行していたこともあり感染者176万人と世界比較で少なく、人口以外の社会構造、文化要件もあるが国民人口と国家統治能力と感染力の関係は考えられる。
国家が統治する人口が政治、経済、社会でどれほどが適正、適当なのかは少なくても国民投資(税負担)割合が多くなり、国民人口が多くなれば国家利益を公正、公平、均等に分配されずにいずれも国家統治に無理、歪みを生む結果になる。
(5)コロナ社会が及ぼす矛盾が国家統治の適正、適応規模を示す結果をみせている。