ひびレビ

特撮・アニメの感想や、日々のことを書いてます。
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ネオ・ウルトラQ 第6話「もっとも臭い島」

2013-02-16 22:13:03 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第6話「もっとも臭い島」

匂いと臭いの第6話。強烈な臭いを発する悪臭セーデガン。その心は優しく、鼻から出るエキスは傷を癒し、そして大人気香水の原料にもなりました。最初はその強烈な臭いや、「怪獣」ということで逃げた優希。しかしセーデガンが優しい怪獣であることを知ると、臭いの事を口に出すものの、嫌な顔1つせずに笑顔で過ごしていました。

しかしセーデガンの優しい心を知る優希にとっては良い怪獣でも、何も知らない人々からすれば危険な存在。強烈な臭いを発する巨大生物。確かに危険だと思うのも無理はありませんが、何も即殺害しなくても・・・自分達とは違い強烈な臭いを発するから、巨大生物だから。そんな理由で怪獣を殺すのは人間の勝手すぎます。
かといって、セーデガンは有益な怪獣だから生かしておこうというのも違うと思います。人間にとってどうか、ではなく、セーデガン自身を知ることが何よりも大切でしょう。


ラストではセーデガンにすがりついた優希もまた、セーデガンのような口調と鼻になっていました。もしかすると、あのセーデガンも本来は人間だったのではないでしょうか。珍しく怪獣が自分や相手の名前を口にしていましたし、優希と同じ理由であの島に流れ着き、その前のセーデガンと出会い・・・というような流れがあったのかもしれません。セーデガンは、背中からのラインで「ちょっとだらしないレッドキング」という印象を受けました。

どんなに強烈な臭いでも、素晴らしい未知の匂いに変わることもある。劇中で香水を使用していた女性たちですが、彼女たちがその原料を知ったらどうするのでしょうか。「コピ・ルアク」というコーヒーを思い出しました。


ニルワニエ同様、怪獣だからといって決して悪い存在ばかりではない。ブレザレンのように有益な怪獣だけが生きていても良いと許されるのもまた間違っていると思います。
優希は例えセーデガンが香水の原料にならなかったとしても、懸命に自衛隊の行動を止めたことでしょう。優希の帰りを待ち、再会を喜んだセーデガン。彼が海に向かおうとしていたのも、優希に会いに行くためだったのではないかと。しかしおそらく、その場合でも彼は射殺されてしまっていたのでしょうね・・・本当、セーデガンが人間に何をしたのか。怪獣はありのままの姿で生きていることすらも出来ないのか。


「匂い」と書けば良い香りに。「臭い」と書けば悪臭に。「におい」という言葉1つにも様々な意味があります。ただそれは人によって異なるもの。男性の私からすれば、女性の香水などは時たまきつくて、辛い時があります。
もしかして怪獣もにおいと同じものなのかもしれませんね。人によって感じ方が異なり、始めはきつくても、一緒にいるとその感じ方も変わってくるかもしれない。ただ「慣れない」というだけで拒絶してしまうのも考えものかもしれません。


自分の鼻からセーデガンと同じエキスを採取し続ける優希。彼女もいずれ、あの島に渡ることになるのかもしれません。
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ALWAYS 三丁目の夕日'64

2013-02-16 00:17:57 | テレビ・映画・ドラマ
「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を視聴しました。

時代は流れ、前作から5年後の話に。六子の初恋や淳之介の旅立ちなど、幸せとは何かを問う物語でした。前作、前々作も好きなのですが、今回も随所で泣かせに、そして笑わせてくれました。

まずは六子の恋物語から。傷の手当をしてもらった時に知り合った医者・菊池を好きになった六子。しかしその医者には何やら悪い噂が流れていて、六子も菊池が多くの女性と一緒にいる所を見てしまい・・・
てっきり「菊池は悪い人で、武雄が助けに来る」という流れかと思ったら、菊池は宅間先生も太鼓判を押す良い人でした。ただその無料診療という信念や活動がよく思われておらず、悪い噂を流されてしまったと。しかしそれでもヒロミからのアドバイスを、自分の気持ちを信じ、菊池を信じぬいたその判断は正しかった事が判明しました。周りに流されず、しっかりと自分の気持ちを、自分の目で見たものを信じぬく。恋は盲目とも聞きますが、相手をそこまで信頼しているという事の現れのようにも感じました。

菊池のプロポーズを、まだ鈴木オートの社長たちとの約束を果たしていないと断った六子。そんな六子の、娘の言葉を聞いて話し合う社長と奥さんの会話が素敵でした。普段は「あなた」なのに「おとうさん」と呼ぶあたり、六子を本当の娘と思っている事が伝わってきました。
決心の日に、六子との想い出を語る社長。これまでの2作品の光景が思い浮かんできて、懐かしく、そして時の流れの早さを感じさせられます。あっという間だったけれども、六子との思い出は数え切れないくらいあるのでしょうね。六子を幸せにしなかったら殺しに行くという社長の言葉に、命に代えても幸せにすると菊池。某賢姉の言葉がふとよぎりましたが、そこまでの覚悟があるという事で。
・・・で、ここまでの流れを見ていて思ったことを一平が的確に告げた時には笑ってしまいました(笑。「結婚を許すかどうかは青森の両親が決めることでは」ですよねーw
結婚式の日、改めて2人に挨拶をする六子。その姿を見て社長も一瞬随分と驚いた表情をしていたのも印象的。


さて一方では茶川竜之介と淳之介についても大きな変化が。竜之介が小説家として新進気鋭の作家に押されている中、その作家の正体が淳之介だと判明。自分のように苦しく惨めになりたいのかと、何とか小説家を諦めさせようとする竜之介。しかしそんな折、竜之介の父が死去したとの電報が。そこで知ったのは、父が自分を敢えて突き放し、背水の陣で小説家への道を歩ませた事。帰ってくる場所がある、と安心させるのではなく、死に物狂いでやって欲しかったのでしょう。

今でも変わらぬ竜之介の部屋には、父が買った竜之介の小説が掲載された雑誌がずらり。その1つ1つにきちんと感想が添えられていたのにはウルッときました・・・ファンレターを捏造なんかしなくても、届かなかったとはいえファンレターは送られていたんだなと。息子だからと甘く判断するのではなく、読者が着いてくるのか心配もしているあたり、ちゃんと読み込んでいるという姿勢を感じました。

ずっと父親に支えられてきたのかもしれないとヒロミに零す竜之介。挫けそうになった時、なにくそと父の顔を思い出して頑張ってこれた。1作目の六子の母親といい、不器用でも子供の事を思わない親はいませんね。
そして一度は淳之介に小説家を諦めさせた竜之介でしたが、編集者と一芝居を打って、淳之介が小説家を続けたいという本心を聞き出す事が出来ました。淳之介は決して書く事を諦めなかった竜之介を尊敬しており、小説家を苦しくて惨めだからやめておけなどと、書く事が嫌いな振りをして欲しくないと淳之介。


竜之介も父親と同じく、淳之介を家から追い出して背水の陣で挑ませる。しかし一度出て行った後、竜之介は淳之介の荷物にかつてのクリスマスプレゼント、万年筆を入れ忘れた事に気づく。それを見て思い出すのは、あの時の淳之介の嬉しそうな顔。
今回も竜之介は走る走る。そして淳之介もまた万年筆を取りに戻ろうとしていました。竜之介は淳之介に、この万年筆は小説家として進む際の道しるべだと言って渡す。書く事が好きで好きでたまらなかった気持ちや、竜之介に憧れて小説を書き始めた時などの気持ちが万年筆にはしみこんでいる事でしょう。
竜之介は淳之介に対し、全力で叩きのめす、自分の言うように大学に進まなかった事を後悔させてやると告げる。それに対し淳之介は別れ際、竜之介の気持ちは分かっていると、そして自分は「茶川竜之介の一番弟子です!!」・・・ここら辺の淳之介の台詞で涙腺崩壊ですよ(涙。ボロボロ泣けてきました。

淳之介が竜之介に感謝したように、竜之介もまた淳之介に感謝していた。自分のファンである淳之介と知り合い、家族になり、そしてライバルへ。竜之介の危機に淳之介はいつも一働きしていました。今回もまた、竜之介に再び小説と向き合い続ける決心をさせた淳之介。編集者との会話で竜之介を「おじちゃん」ではなく「先生」と呼んだのも、家族でありながら同じ小説家として競い合うという認識を持ったのでしょうね。


幸せとは何なのか。いい大学に入り、いい仕事に就き、お金持ちになって安定した暮らしをする。それもまた幸せの1つの形だと思います。ただ、それが全てではありません。辛くても誰かの笑顔を見たい、苦しくても書く事が好きだからやめられない。自分の好きなものをとことん突き詰めていく道は決して楽な事ではないですが、人の幸せというのは他人が簡単に判断できるものではないと思います。幸せの形は人それぞれ。

そして、これまでは大人が頑張っているイメージが強かったですが、今回は子供たちが中心だったように思えます。時代は流れ、特に子役の成長っぷりは驚かされるばかりですね。
いつまでも皆子供ではない。それぞれが親の背中を見て育ち、時に見習い、時に反抗して育っていく。祭は終わっても、次の時代を子供たちが作り、また新たな祭が生まれ、その次の祭は子供の子供たちが・・・と、今後も繋がっていく事でしょう。そんな彼らを夕日はいつまでも見守ってくれている。そうあると良いですね。

今回も素晴らしい作品でした。ただ「互いの思いやりが大切」で締めるのは何か違うと感じました(汗。
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