この間、NHK総合TVを見ていたら、浜松フラワーパーク理事長の塚本こなみさんの活躍の話が出ていました。その話の中で気になった言葉が「感動分岐点」のお話。企業に損益分岐点が有る様に、感動するにも「感動分岐点」が有るとの事でした。
この「感動分岐点」はオーディオにも当てはまると思いました。聴く曲と演奏とそれを再生する再生装置の「音質」にも「感動分岐点」が有る様に思います。同じモノ(花や曲も)を何度も聴くと(見ると)、感動が失われます。それは「経験した」からです。次に感動する為にはもっと上の音質で「今まで聴いた事のない」音質にしなければなりません。(感動分岐点は変化している)それくらいインパクトが無いと感動は出て来ません。
現在の「音質」に満足していますが、この状態の音質で1年も聴くとややマンネリになって来ます。更なる高みを目指して「感動分岐点」を押し上げれる様に、終わりの無い挑戦を続けていくしかない様です。オーディオの泥沼状態は生涯続くのかも知れません。
この「感動分岐点」はオーディオにも当てはまると思いました。聴く曲と演奏とそれを再生する再生装置の「音質」にも「感動分岐点」が有る様に思います。同じモノ(花や曲も)を何度も聴くと(見ると)、感動が失われます。それは「経験した」からです。次に感動する為にはもっと上の音質で「今まで聴いた事のない」音質にしなければなりません。(感動分岐点は変化している)それくらいインパクトが無いと感動は出て来ません。
現在の「音質」に満足していますが、この状態の音質で1年も聴くとややマンネリになって来ます。更なる高みを目指して「感動分岐点」を押し上げれる様に、終わりの無い挑戦を続けていくしかない様です。オーディオの泥沼状態は生涯続くのかも知れません。