Kオジサンの新・山歩きの記

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木曽路を歩く   妻籠宿から馬籠宿へ 

2014-10-20 22:49:14 | 各務原歩こう会

「各務原歩こう会」の10月例会で木曽路を歩いてきました。常時なら山に登るのですが、今回は街道を歩きました。妻籠宿から馬籠宿へ歩くものでしたが、現地へバスで向かいますので、スタート地点は何処にでも設定する事ができました。滅多に渡る事の無い桃介橋を渡るようにするため、天白公園からスタートするようにしました。
途中から雨が降り出したのは、残念ですが、古い街道を歩き江戸時代の旅人気分を味わえました。

天白公園(8:30) ― 桃介橋 ― 南木曽駅(8:44)  ― 上久保の一里塚(9:15~9:17)

 ― 妻籠城址分岐(9:33)  ― 妻籠城址(9:41~9:49) ― 妻籠城址分岐(9:56)  ― 

妻籠宿高札場(10:12) ― 妻籠宿ふれあい会館(10:23~10:43) ― 

妻籠宿第3駐車場(11:25) ― 庚申塚(11:55) ― 一石栃立場茶屋(12:52~13:04) 

 ― 馬籠峠(13:18~13:21) ― 馬籠宿高札場(14:00) ― 馬籠館(14:15) 


今回、私がリーダーを勤めましたが、このコースを木曽11宿ウォークで、12年4月25日と5月29日に歩きました。

中仙道 木曽11宿ウォーク② 馬籠宿 ⇒ 妻籠宿
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/2de912356d5b5a4a75c8b95697bfbf06

中仙道 木曽11宿ウォーク③ 妻籠宿 ⇒ 柿其水路橋
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/933fe07b3b73f16db68f11dec2ef480d


今回歩いたコースの地図です。
http://www.town.nagiso.nagano.jp/data/open/cnt/3/3238/1/tsumagomap02.pdf


天白公園で準備体操をしました。



天白公園の一角に蛇抜けの碑が有ります。
奥に見える大きな岩の上には、悲しめる乙女の像が有り、私が説明しました。
つい、先頃に土石流が流れて、中学生が亡くなると言う災害が発生しましたが、度々災害が繰り返されます。



これから桃介橋に向かいます。



近代化遺産の桃介橋です。こちらでも説明しました。



これから桃介橋を渡ります。



高校生が桃介橋を渡ってきます。
蘇南高校の生徒です。木曽の南の高校なので曽南となるところですが、何故、蘇南高校なのでしょう。



南木曽駅の前を通過します。
この南木曽駅へ来る前に道路の反対側から、女将さんから「どちらから来たね」「橋は渡って来たかね」と声を掛けられました。桃介橋を渡って来たと応えたのですが、桃介橋を愛する気持ちから、このような言葉が投げかけられたのだと思います。



石畳の道を歩きます。
新しく設けられた石畳ですが、昔の街道らしい雰囲気が有ります。



上久保の一里塚に来ました。
この一里塚は道を挟んで、両側に土塁が残っており昔の一里塚の姿が残されています。



妻籠城跡に向かいます。
妻籠城跡へ向かう時、分岐で太った外国人男性とガイドらしき女性が佇んでいました。何処から北のかと聞くとカルフォルニアから来たと応えました。城跡に向かう時、10人ほどの人たちとすれ違いましたが、男性は登るのがキツかったのでしょう皆が戻るのを待っていました。



妻籠城跡は石垣は有りませんが、城跡らしい姿が残っています。
ここから妻籠宿が見下ろせます。



城跡から見える妻籠宿。




柿の重さで枝が垂れています。
こんな様子にも秋を感じます。



地元の人が落ち葉を掃き、掃除をしていました。
誰かが村人と話をしました。
屋根の樋からトマトが伸び2個、実を付けていたのでそうです。
青いトマト。
季節はずれの根性トマトです。
私はトップを歩いていて、話の内容が掴めていませんでしたが、当時のやり取りを教えて貰いました。
地元の人との交流は嬉しいことです。

毎年、11月23日に文化文政風俗絵巻之行列として、人々が宿場役人。武士。浪人。鳥追い女。飛脚姿に虚無僧。文化文政時代に中山道を歩いたであろう。旅人の姿を再現します。
また、馬に乗った花嫁の姿も再現されます。
今回、一緒に歩いた人から、ここの家では、その祭りの時にお茶の接待をして貰えるので、お礼を申したと話していました。
是非、そんな行列を見てみたいものです。



「御宿大吉」
今も宿として営業しているようです。
このようなところに泊れば、江戸時代の旅人気分に浸れるでしょう。


妻籠宿の入口に差し掛かりました。



宿の入り口に高札場が設けてありました。



妻籠宿ふれあい館。
当初の予定では妻籠城跡で昼食を取る予定でしたが、時間的に早かったので、こちらの妻籠宿ふれあい館で取るようにしました。
ふれあい館で昼食とする前に全員の記念写真を撮影しました。
その後は昼食を取り、自由に歩かせ、11時40分までに第3駐車場へ来るようにと、しました。




郵便局ですが、表側は古い佇まいとしています。
局内にはポストなどの郵便資料が展示して有ります。



旧街道らしい雰囲気の中を歩きます。



吊るされた柿や生けられた菊に秋の風情を感じます。



湯屋と言うそばと五平餅の店。
ここで五平餅を買い求めました。皆が、食べ歩きをしていました。

味噌に胡桃が入っているような香ばしい味で美味しかったです。作り置きをしないとのことで、焼きあがるまで少々待たされました。焼き立てを味わうためですので、仕方が無いことです。



旧街道らしい雰囲気の中を歩きます。



山から流れて来る水。
その水を利用して花が生けてあります。そんな様子に目が行きます。



大妻籠宿では何人かの人たちがスケッチに取り組んでいました。



一石栃立場茶屋まで来ました。
ここは宿場と宿場の間の休憩場所です。



一石栃立場茶屋で休憩です。



一石栃立場茶屋の内部です。
外国人が休憩していました。
鈴木さんが話してくれましたが、カップルはスペインから来た人で、こちら側はシンガポールからだと言っていました。


表側で鈴木省吾さんが木曽節を唄ってくれました。



木曽節を唄う鈴木さん。



一石栃立場茶屋の壁に貼られていた新聞記事。
多くの外国人が木曽路を歩いていると、記事にしています。



私は先頭を歩いていたものですから、前方から外国人が歩いて来るのが良く判りました。木曽路を歩いていて、すれ違う人はすべてが外国人でした。妻籠城跡で会ったのはアメリカ人であり、馬籠峠を過ぎたところで会ったのはシンガポール人でした。シンガポール人は中国系だったのですが、風貌からは日本人かと思いました。何処から来たかと聞くと、シンガポールからだと応えてくれました。右下は陽気なオーストラリア人です。カメラを見つけてポーズを取ってくれました。

妻籠宿や馬籠宿では日本人がウロウロしていましたが、街道を歩いていてすれ違ったのは、ほとんどが外国人でした。街道を歩き、昔の旅人気分を味わえます。
「死ぬ前に見るべき千の場所」と言う本が世界で売れているそうです。そんな事から外国人が多くなったのでしょう。



馬籠峠に到着です。
ここまでは登り坂でしたが、登り坂はここまでです。
この峠は長野県と岐阜県の県境で、ロードサインが設置して有りました。



十辺舎一九の歌碑。
字が読み難くなっていますが、栗こわめしの字は読めました。
今、この地方では栗きんとんが有名ですが、江戸のころから栗が名物だったのでしよう。



民家の軒先には柿や切り干し芋が乾されています。
他にも何か赤いモノが乾されています。
家屋の造作が、乾すために軒先が深くなっています。



いよいよ、雨が本格的に振り出しました。



馬籠宿の高札場まで来ました。
ここからは解散し、馬籠館の駐車場に集合することとしました。



自由に店を見ながら歩けるように計らいましたが、本格的な雨で店の中を見る人は少なかったです。
この右側は、藤村記念館です。


馬籠館が見える所まで下ってきました。
マイクロバスが待っています。



妻籠観光協会から送って貰った資料です。
街道は隊列で歩くようにしていましたが、妻籠宿と馬籠宿は解散して、自由に見て歩くようにしました。皆には地図を渡しましたが、地図は妻籠観光協会から送って貰った物であり、どうせ金を落とすのなら妻籠でと、言い添えました。

妻籠観光協会
長野県木曾郡南木曾町吾妻2159-2
0264-57-3123
http://www.tumago.jp/
info@tumago.jp



今回は、12年4月25日と5月29日に歩いたコースを逆に北から南へ歩きました。その時にも外国人を見かけましたが、これ程外国人が多いとは予想していませんでした。この旧街道を歩くと、かつての日本の雰囲気を味わえるということを日本人よりも外国人の方が良く知っているのでは無いかと思いました。
途中から雨が降り出したことは残念でしたが、秋が深まっていく街道筋を歩き江戸の旅人気分を味わえました。

でも、江戸の旅人気分を味わえましたが、今日のような靴でなく草履での旅であり、行路中に体調を崩してしまうことも有ったでしょう。難儀して旅を続けたものだと想像します。

途中の名所に男滝と女滝が有ります。雨がバラつき初めました。滝は街道から下の箇所に有るので、一旦下って再び登ることとなります。仕方なく滝へ向かうのは省略しました。晴れていたら寄るところでしたが寄れなかったのが残念です。

2012年の4月から12月にかけて木曽路を10回に分けて歩きました。その時はカミさんと一緒に参加したのです。
ブログに、第2回と第3回の事を貼りましたが、改めてノートを開いたりアルバムをするような気分で、あの時の模様が甦りました。
あの時の事を思い出し、とっても好い気分に浸る事が出来ました。

コメント (2)
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