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一宮友歩会・第53回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋Part4  名古屋市南区を歩く

2014-12-06 19:51:57 | 一宮友歩会

一宮友歩会は愛知県一宮市を中心としたウオーキング同好会で、犬山、江南、稲沢、名古屋などと尾張地区地区全般に会員がいます。主に愛知・岐阜県を偶数月に歩いていまして、8月は暑い時期なので7月開催しています。回を重ね、53回目の開催となりました。

12月例会は名鉄大同町駅から南区内の大江川緑地を東へ進み、くつ塚を訪ねます。元成尾町や本星崎町の古い街を通り笠寺公園を目指し、笠寺観音を経由して本笠寺駅へゴールしました。
今回、伊勢湾台風の記憶を呼び起こす記念モニュメントや伊勢湾台風の殉難碑を訪ねたり、かつては川であった大江川緑地を歩きました。また、南区はかつては海で有った処が干拓され、新田となった箇所も多い地域です。
このウオーキングは、単に歩くだけでなく、現地で歴史や文化が学べる面白さが有ります。見所の多い南区を歩きました。 

大同町駅(9:20)スタート  ― 宝生公園(9:40~9:43)  ― 大江川緑地(9:52) ― 
くつ塚(10:10~10:16) ― 大江川緑地(10:22) ― 呼続神社(11:08) ― 
永井荷風追慕碑(西来寺)(11:27~11:58)  ― 蒼龍寺(12:07~12:11) ― 
星崎城址(12:30~12:37) ―  本城公園(12:40~12:47) ― 粕畑貝塚跡(12:55)
笠寺一里塚(13:03) ― 笠寺公園(13:08) ― 見晴台考古資料館(13:15~13:20) ― 
笠寺観音(13:38~13:43) ―  本笠寺駅(13:48)ゴール  


名鉄大同町駅を出発しました。


伊勢湾台風の記憶
東海地方に住む人で、60歳以上のヒトならば、大抵の人は伊勢湾台風の記憶を持っています。今回、歩いた南区は伊勢湾台風が襲来し被害が大きかった地域です。今回のウオーキングでは愛と力の筏像とくつ塚を訪ねました。


愛と力の筏像。
名鉄大同駅の東側に大同高校があり、この像は高校の南側に有ります。
竿の先が、当時水に浸かった水位を表しています。台風の後、2000人もの被災者が大同高校に押し寄せたと言います。高校生たちが、救援物資の移送や負傷者の救助に手作りの筏で行動したという像です。




南区の浜田南公園です。
この場所に多くの靴が流れ着き、この場所に慰霊碑が設けられています。



慰霊碑の有る浜田南公園に来ました。
北側には新しくマンションが建ちました。




伊勢湾台風殉難者慰霊碑。




会長から頼まれて、当時の事を語るSさんです。
あの台風が来た時は高校2年生だったそうです。襲来時水が襲い、天井の高さまで浸水したのだそうです。浸水して来た時、当時の家屋は基礎に固定して有るのでなかって、家が浮き出したと話しておられました。
台風通過後、土壁の土が落ちてしまい、竹が見える状態になったとか。
そこにベニヤを貼ったが、冬は寒くて仕方なかったと語りました。

お昼。西来寺で他の方に話しているのが耳に入りました。
台風の後、南区役所の前に遺体がずら~と並んでいたのだそうです。
棺桶が足らなくて・・・・・と聞こえました。



最高浸水位。
男性の身長と比べてみますと、どれ程、深かったのか判ります。



伊勢湾台風の説明盤。
昭和34年9月26日。
ダレもが覚えている期日です。
あの日は土曜日で、翌日、台風が通過した後は、凄い晴れの日でした。

東海道線に西側はほとんどが水没しました。とうじ、守山区緑区はまだ、名古屋市に編入していない頃です。市内の半分近くが水没しました。


大江川緑地

今回、歩いたコース地図です。




こちらは明治24年の地図です。
東海道線が全通したのが明治22年でした。用地買収も、し易いように民家を避けて敷設しています。多くの場所で干拓が行われ、新田が誕生しています。白地のところは塩田だそうでして、ここで生産された塩が信州などに送られました。その道に塩付街道と、名が残っています。




大江緑地を進みます。
左側のコンクリートが川の堤防だったと想像できます。
昭和50年代に緑地の工事が始まったそうです。

今では、木が太くなっていますが、このようなコンクリート堤防がなかったら、かつて、ここは川であったと想像できません。
木の葉が紅葉しています。
最後の紅葉の時期です。




大江緑地を歩きます。
イチョウの葉が落ち、黄色いジュウタンとなっています。
歩く人。走る人。
市民の憩いの場所となっています。




Yさんの解説です。
この大江川の近くに大同特殊鋼と言う会社があります。大正の頃福沢桃介は基礎川にダムを設けて発電に努めたのですが、なかなか、電気が売れない時期だったそうです。余った電気を活用する方策として、電気炉を始めたのだそうです。
また、この大江川辺りは県営の工業用水が豊富にあり、三井東圧化学などの工場が有りました。川の周りに工場が多く、ヘドロを垂れ流していました。そんな状況から進み、大江川を埋め立てて緑地化したのだそうです。その時、緑地化に周りの企業に金を出させたそうです。
歳月が流れ、木が大きく成長しています。

永井荷風追慕碑 西来寺

西来寺です。
寺の境内に永井荷風追慕碑が設けてありました。




時々雪が舞い、雨も振ったりと言う空模様となりました。
予定ではこの先の本城公園で昼食でしたが、急遽、お寺にお願いして軒先をお借りしました。


星崎城址

星崎城址の石碑と説明看板。
星崎小学校の校内にあり、中には入れませんでした。



星崎城の規模は大きく、名鉄が城跡を横切る形となりました。




Mさんが星崎城跡の時代背景を解説しています。


笠寺一里塚

左側の道路は東海道です。
前方の小山が笠寺の一里塚です。




榎の大木が枝を広げています。


笠寺公園

笠寺公園に来ました。
ここでも木の紅葉。




住居跡へ入ります。




住居跡の入口と内部で再現されていた当時の生活の模様です。




マネキン人形が生活状況を表しています。




見晴台考古資料館の入口と内部です。


笠寺観音

笠寺観音に来ました。
宮本武蔵の石碑が設けてあります。




笠寺観音の建物です。




笠寺観音で人質になっていた家康が交換されたと記して有る石碑が有りました。




ゴール。
本笠寺駅に着きました。
お疲れ様でした。
 

コメント
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