各務原歩こう会の山行に参加しました。今回のリーダーはY野さんが勤める予定でしたが、ご家庭の事情で都合が悪くなり、代わってK川さんが勤めてくれました。参加者は男女16名でした。
向かった山は関市武芸川町の権現山です。参考にしたのは「可児からの山歩き」です。可児からの山歩きさんは平成18年4月14日に登っています。http://www.geocities.jp/kanikarano/9yamaaruki/120gonngenfunnyouji.htm 可児からさんが登ってから、丁度、登ってから10年が経過したことになります。10年前と言うと、平成の大合併が有った頃です。武芸川町が関市に合併したのがその頃だったのでしょう。
可児からさんは汾陽寺の下に車を停めて逆時計回りに歩いています。私たちは寺尾千本桜の駐車場でバスに乗せて貰うようにしました。歩こう会ではバスを使って山行を行っています。登山口と下山口が異なる時には、バスは便利です。
リーダーのY野さんは汾陽寺山へは登らない計画にしました。体力を考慮しての事でしょう。
可児からの山歩きさんのお許しを戴きまして、コースの概略図を載せました。可児からさんが周回したコースの東半分を歩いた形です。中部電力の巡視路を辿りました。木々が新緑になり始めた時期でした。
8:54
県道59号線の道幅が広くなった場所で停まって貰いました。ここから登山口に向かいます。この場所に来る前に道の駅で登山靴に履き替えて来ました。リーダーの指示が有ったのです。
8:57
自動車屋の横を通って登山口に向かいます。
8:58
洞登山口の入口です。
標識も、何も無いところです。
ここが登山口だとは判りません。
登山口から入り、振り返りました。
左は電力会社の巡視路の標識が立っていました。
9:03
登山口から入って、少し歩くと尾根へ出る巡視路となります。
9:04
九十九折れの巡視路です。
高圧線の巡視路で、プラスチックを使い、階段を整備しています。
倒木が道を塞いでいます。
9:11
尾根に出ました。
ここで、K川さんから小休止する声が掛かりました。
飲料水を取ると供に、衣類調整をしました。
9:16
今日のKオジサンの後ろ姿。
隊列の後ろから付いて行きます。
ミツバツツジです。
まだ、蕾が残っていますので、満開とは言えないかも知れません。
登山道に松の落ち葉が落ちています。
この状態を見て、思ったのは松ご掻きです。(言葉が間違っているかも知れません)
かつてはクドの焚き付けに松の落葉を使っていました。
伊勢湾台風の前頃までは山で松葉を採って来ていました。熊手を使って掻き寄せ、背中に背負う籠や菰と言うのか、ワラで編んだ大きな袋に入れていました。
この状態からそんな風景を想像しました。
9:19
№450鉄塔が見えてきました。
9:22
№450鉄塔です。
9:26
左は隣の汾陽寺山です。
右はこれから登る権現山です。山の上の方が部分的に見えます。
9:26
アップダウンの繰り返し。
ここからは、下り道です。
9:30
南西方向の眺望です。
画像ではハッキリ見えませんが、伊吹山が確認できました。
9:35
春の恵み。
コシアブラをゲットできました。
9:36
登り道となりました。
9:44
コシアブラでしょうか。山菜を見つけました。
9:52
№449鉄塔で小休止です。
向うに見えるのはこれから登る権現山です。
9:52
南の方角です。
白く光って見えるのは長良川です。
10:03 10:09
下ったり、登ったりします。
10:20
東に美濃市の天王山が見えます。
山頂の反射板が確認できます。
10:22
尾根道を歩きます。
10:24 10:24
小知野から登ってきたコースと合流しました。
10:31
スミレです。
シュンランが咲いているよと、教えられた場所がありました。教えて貰って撮影しましたが、ピンボケでした。それで、スミレを貼りました。折角、教えて貰ったのにうまく映せなくて残念です。
10:41
緩やかな登りです。
山頂まで、もう少しです。
10:44
登るのが、一区切りつき、小休止です。
ここが9合目だとK川さんが言っていました。
10:45
山頂への最後の登りとなります。
右はシキミなのだろうか。何輪も咲いていました。
左はドウダンです。
10:49
山頂に到着です。
祠が祀って有ります。
祠と朽ちた名板。
三角点も山名表示も有りませんでした。
何スミレが判りませんが、山頂で群生していました。
11:04
リーダーのK川さんです。
山に登って山頂に到着したら、下山道は何処か確認をして置かなければ、いけないと言う言葉でした。先日の私の事を言われているような気がしました。
11:07
山頂から下山します。
登ってきた道を降ります。
11:11
千本桜へのコースからハズレました。
鉄塔の下で、眺望の利く所に来ました。
11:12
鉄塔の下で眺望の良い場所です。
眺望について、K川サンが説明しています。
11:11
あの鉄塔の所まで下山して、お昼となります。
11:22
下山道。
朴葉が落ち葉で散乱しています。
11:30
眺望の良い鉄塔の下でお昼とします。
思い思いの場所で昼食を取ります。
12:07
春の恵み。
ワラビをゲットしました。
短時間でも、コレだけの収穫が有りました。
時間をかけてじっくりと取り組めば、もっと収穫が有るでしょう。
12:12
鉄塔下の展望広場で昼食を終え、出発します。
12:14
ここから急な下りとなります。
12:17
谷の山道を進みます。
12:23
やや、急な下り道です。
ここ辺りでY本さんが尻餅と言うか転倒と言うか、倒れました。
私が後尾に着いていて、その時は気が着きませんでした。Y本さんがポケットから携帯を落としたのでした。
12:42
林道の終点の場所まで下りてきました。
広場となっています。
12:56 12:57
広場から少し進んだ所です。
上の画像は単独の女性が登りに来ました。ここまでの道はハッキリしていましたが、この広場の状態の場所で、どの方向に進めば良いか判り難いです。私たちが下って来たところでしたので、登り道を教えました。
ここで、ハプニングの発生です。
Y本さんが自分のポケットに手をやり、ポケット内に携帯が無いことに気が着きました。さっき、転倒した時にポケットから落としたと、思えると言っていました。本人は単独で引き返すと言いましたが、1人で行くのはダメです。A野さんが一緒に行くことになりました。
女性でトイレへ行きたいと言う人が居て、先に向かわせ私たちはここに留まりました。
A野さんの携帯にY本さんの携帯番号を記録して、転倒した所にへ向かいました。無事に発見する事が出来ましたが、携帯はマナーモードとなっていて鳴らなかったそうです。
二人が降りてきて、姿を見た時、先行していったK川さんに携帯で、二人が戻ったと連絡を入れました。
携帯にスプリングのコードを着けるとか、蓋が出来るポケットに入れるとか、用心しなければなりません。教訓となりました。
13:19
携帯を探し出せて、戻って来たY本さんとA野さんです。
先には駐車場が見えます。
13:20
下山してきて、バスが見える所まで来ました。
13:21
この橋が、ふれあい橋です。
権現山に登るのに、登山口の表示が有りません。
登山口が判るようにして貰えたらと思います。
13:32
みんな、集まっています。
何を喋っているのでしょう。
感想
汾陽寺山と権現山へは03.02.01に登りました。千本桜に車を停めて先に汾陽寺山に登り、下ってきてから権現山に登りました。もう、10年以上前の事です。2山に登りましたが、雪の山だった記憶しか残っていません。
今回、洞登山口から登りましたが、変化のある良い山だと思いました。
昨日の天気は風の強い日でした。それに明日からは雨が降ると言う予報になっています。ベストな天候の日でした。山菜をゲットできた人が居ました。歩いていて、ウグイスの声も聞けました。年間のウチでも、条件が良い方の日だったと思います。
リーダーは隊員の体力を考慮して汾陽寺山へ向かうのを止めました。良い判断だったと思います。下から登ってきて千本桜で終える事が出来る。コレも、このコースの良いところだと思いました。
鉄塔巡視路を辿りました。昼食を取った所の鉄塔や山頂から降りて、眺望の良い場所の鉄塔は別系列の鉄塔です。それでも、撮影してきた画像を確認してみると、鉄塔の本数が多いような気がします。「?」に感じてしまいます。
鉄塔巡視路を辿ったのですから仕方が無いですが、単独で訪れた女性が居たように、初めての人ですとコースが判り難いところが有りますので、途中や登山口に表示を設けて貰えたらありがたいと思います。なお、彼女は「岐阜の山旅100コース」のコピーを持って来ていました。
4月12日に登るのは、年間計画で予定されていました。コレは千本桜のサクラの時期が良いのではと言うことで計画されたものでした。可児からさんが登ったのは4月14日で7分程度かな、となっています。私たちは4月12日でもサクラは終わっていました。良い状態のサクラに会えるか、否かは。運、不運かもしれません。
各務原歩こう会の解散
各務原歩こう会は平成22年7月21日に、第1回として焼岳に登りました。その前身は各務原市教委の生涯学習講座であり、講座が終了して、同行の志が集まりサークルとしてスタートしたものです。以来、回数を重ねて、この3月に瀬戸市の元岩巣へ出かけましたのが、第67回でした。6年近い歳月を活動してきました。
各務原歩こう会はバスで出かけて居ますので、登山口で降ろして貰い下山口で拾ってもらえる事が魅力でした。しかし、会員が高齢化したことに寄り、退会者が出るなどして継続していく事が困難な状況となりました。そのため、今回の山行で解散の運びとなりました。解散を惜しむ声が有りましたが、会を牽引していく人が居なくて、解散に至りました。
今回、武芸川権現山に登ったのが最後となりました。