Kオジサンの新・山歩きの記

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kオジサンの中山道旅日記 その9  JR武並駅からJR中津川駅 まで

2018-05-21 23:32:30 | Kオジサンの中山道旅日記 

5月21日(月) 晴 JR武並駅からJR中津川駅まで

第9回です。JR武並駅から前回終了した深萱立場跡へ向いました。そしてウオーキングの再開です。このコースも、昔の様子を残す街道でした。起伏の有る長い道を過ぎ、石畳を下って来たところに十三峠の石碑がありました。その場所が十三峠の東の入口だったのです。
大井宿は盆地の中にある宿場町で典型的な枡形が残る宿場でした。大井宿を通過して、恵那市と中津川市の境界を通り抜け中津川市に入ると、何箇所も坂本文化遺産保存会の案内板を目にしました。郷土の文化財を大切にしていきたい。そんな意気込みを感じました。そして、最後には中津川宿のJR中津川駅までを歩きました。
東に向って歩き、恵那山が段々と近づいてきて山容がハッキリしてきました。
それだけの距離を歩いたのだと実感しました。

JR武並駅  ― 深萱立場跡  ― 藤村高札場  ― 三社灯籠 ― 紅坂の一里塚 ― 
妻の神
 ― 乱れ坂 ― 首なし地蔵 ― 槇ヶ根の追分  ― 西行の森 ― 
槇ヶ根の一里塚 ― 西行坂の馬頭観音 ― これより西 十三峠石碑 ― 西行硯水公園
― JR恵那駅前 ― Valor恵那店  ― 大井橋 ― 市神神社 ― 大井宿の本陣跡  ― 
大井宿高札場  ― 関戸一里塚  ― 甚平坂公園 ― 広久手坂の馬頭観音  ― 
恵那市中津川市境界 ― 茄子川
 ― 鯉ヶ平高札場跡 ― 茄子川小休所篠原家  ― 
尾州白木番所跡 ― 茄子川村高札場跡
 ― 三津屋の一里塚跡 ― 中平神明神社 ― 
中平弘法堂 ― 千旦林の高札場跡 ― 六地蔵
 ― 小石塚立場跡 ― 上宿休憩所 ―
 上宿の一里塚 ― こでの坂 ― 市川製茶 ― 
中津川橋 ― 本町公園 ― 
中津川遊歩道公園 ― JR中津川駅

 
JR武並駅

(08:27)
8時27分に武並駅に着きました。
前回、終了した深萱立場跡へ向かいます。


深萱立場跡

(09:02)
国道19号線の渡道橋を渡り、中央自動車道のガードをくぐって来ました。

ここから、前回終了した中山道の街道歩きを再開します。
この場所。トイレが整っており、投句箱もありました。
あずま屋に投句の作品が掲示して有りました。




歩道と藤川が並行しています。
この場所。左手に藤村の高札場がありました。




(09:10)
前方から男性が歩いてきます。
日本橋から15日続けて歩いて来たと言っていました。
前日の大井宿から細久手宿に向かうのだと話しました。




今日のKオジサンの後ろ姿です。
下は石畳。
本格的な街道歩きが始まります。


紅坂の一里塚

(09:24)
紅坂を登ってきたところです。
紅坂の一里塚がありました。




田園の風景が広がります。
この右側。
山間部で耕作放棄地が有りました。




田圃の中のオタマジャクシ。
こんな事にも季節の移ろいを感じました。




(09:42)
右側の標柱。
竹折高札場跡となっていました。
遠くに見える恵那山。
山頂に雲が掛かっています。
好い景色なのだが、電柱が無ければ尚良い。

乱れ坂

これから乱れ坂を上がります。
坂を登るのに、急坂で息が乱れたとか、女の人の裾が乱れたとかと説明が有ります。


首なし地蔵

(10:04)
首なし地蔵です。
宝暦6年に地元の人達が旅人の安全を願って建立したと有ります。
二人の中間が休んで眠っている時、片方の中間の首が無く、亡くなっていたとか・・・・・・。
そして・・・・・。


槇ヶ根の追分

(10:16)
槇ヶ根の追分まで来ました。
ここは下街道の分岐点です。ここから右に向かうとお伊勢さんへ行けます。
中山道を上街道と呼ぶのに対して、ここから右へ行く街道を下街道と言っています。
下街道は土岐の高山宿や多治見の池田宿を経て名古屋の大曽根へ向かえます。
お上は上街道を歩くのを奨励し、下街道は禁止しましたが、距離が短く難所も無いので時間が経つと下街道を歩くようになってしまいました。。



西行の森辺りへ来ました。
桜を植えて整備してあり、「桜百選の園」と言う石碑が設けて有りました。
遠くに見える恵那山。
山頂に雲が掛かっています。


槇ヶ根の一里塚

(10:43)
槇ヶ根の一里塚です。
街道を挟んで一対の塚が有り、往時の姿を残しています。



石畳の枝道。
この道を進むと西行塚展望台です。


これより西 十三峠石碑

(10:55)
石畳の街道を下ってきました。
ここが十三峠の東の入口でした。
脇には注意を促す看板が設置して有ります。




(11:03)
中央線の登り踏み切りを渡りました。
警報機が鳴り出し、そして名古屋行きの快速が音を立てて走り抜けました。
この辺りの線路。上り線と下り線が離れています。
複線電化の時、新しい線路として敷設したのが下り線なのでしょう。槇ヶ根トンネルとなっています。
こちらの線路は明治に開通した時の線路なのでしょう。




踏切から旧国道19号線に降りて来るところに石碑が設けて有ります。
歴史の道 中山道 と刻んで有ります。
この辺りの地理の状況が判ります。
中央線。最初に敷設した線路は経費節減で短いトンネルです。新しいトンネルは並行して完成させれなく、長いトンネルになっています。
美濃十六宿となっていますが、馬籠宿が漏れています。
平成の合併で長野県山口村が岐阜県中津川市となり、馬籠宿が加わって美濃十七宿となりました。




(11:29)
道を間違えて恵那駅の方に行ってしまいました。
修正して中山道へ戻って来ました。
恵那の街中。
道がカーブして街道らしさが有ります。




中山道広重美術館です。
今日は月曜日で休館日でした。
浮世絵諸国探訪と言う企画展を実施しています。




(11:38)
美術館の南がValor恵那店で、フードコートに来ました。
木の香と言う店です。






五平餅が名物の店。
木の香ランチを注文、それに稲荷寿司を頼みました。




五平餅をこのように焼いています。
出された五平餅が焼いてから時間が経っているからか、美味しいと感じなかったです。
先日、馬籠を歩いた時、白木屋で食べた方が美味しかったのです。
こちらのは100円で、白木屋のは150円でした。味の差は値段の差でしょうか。


大井橋

(12:11)
阿木川に架かる大井橋を渡ります。
欄干に浮世絵のプレートが着けて有ります。



欄干には69枚の浮世絵が飾って有りました。
左上は「大津」琵琶湖が見えます。右上は愛知川宿です。柱にはし銭いらず。むちんばしと書かれています。
左下が贄川宿。その右は浦和宿です。何れも馬の背に荷が乗っており、家畜が重要な運搬手段でした。それに江戸時代は浦和から浅間山が望めたのでしょうか。




大井宿の桝形です。
6箇所、道が折れています。





(12:30)
この建物の表には明治天皇行在所の石柱が立っています。
15年12月に訪れた時には「行在い所 お休み処」。そして「まちかど美術館・博物館」の看板が下がっていました。
この場所を拠点にボランティアガイドが活動していました。
今では、そんな様子が窺えません。活動を止めてしまったのでしょうか。



大井宿の本陣跡

本陣跡で門が残っています。
説明板には、本陣母屋を昭和22年に焼失したと書いて有ります。


大井宿高札場


(12:37)
坂の途中に高札場が設けて有ります。





上宿広場です。
トイレが完備しています。





中山道十七宿の石碑を見かけました。




(12:48)
振返り、歩いて来た大井宿方面を見渡しました。



関戸一里塚

関戸一里塚の石碑がポツンと立っていました。



甚平坂公園

(13:08)
甚平坂公園です。
この公園に大井宿の浮世絵を元にした石碑が設置して有ります。
後ろに見える山は御嶽山です。
噴煙が出ています。





岡瀬沢地区へ入って来ました。
恵那山が見えますが、電柱が邪魔です。




(13:19)
二人で歩いている女性とすれ違いました。




恵那市と中津川市の境界

(13:30)
恵那市と中津川市の境界です。




坂本の案内看板。
中津川市に入って坂本文化遺産保存会の手作り案内板を多く見かけました。





(13:40)
この男性。日本橋から続けて歩いて来たと言っていました。
続けて中山道を歩きたいのだが、どうしても用が有って下諏訪で一旦、中断した。
それに、細久手でも、また中断しなくてはならないと話しました。
細久手宿は公共交通機関から離れている場所です。
中断するにもタクシーを呼ぶなどしなくてはなりません。
そして、後日に、また街道歩きを再開するのでしょう。




(13:44)
恵那山が正面に見えます。



尾州白木改番所跡

(14:02)
尾張藩の白木改番所は大湫宿や大井宿に有りました。
この白木改番所は各所に有ります。
それだけ厳重に抜荷を取り締まったのでしょう。



三津屋の一里塚跡

(14:22)
三津屋の一里塚跡の石柱が立っています。




(14:44)
なだらかな坂道です。
恵那山が大きく見えるようになりました。





(15:18)
中津川インターの横を通り抜け駒場地区に入ってきました。





上宿休憩所

(15:30)
上宿休憩所です。
外国人が寝ていると思い、シャッターを切りました。







横になって休んでいても、寝ては居ませんでした。
トイレを済ませたら手招きされ、近寄りました。
男性だと思い込んだのですが、実は女性でした。
「ウフェアー  フロム」と声を掛けたら、「オーストラリア」と言う返事が返ってきました。
「ウフェアー  ゴー」と聞くとKYOTOでした。
「ハウ オールド アー ユー」。この質問にはシクスティファイブと答えました。
(後になって女性に年齢を聞いて失礼だったかと思いました。)
65歳のおバアちゃん。半袖で腕には刺青が有り、引きました。日本人の感覚とは少し異なります。
ザックにテントを入れて旅していると話しました。
それに、地図が無いかと言うので、岐阜県十七宿 散策ガイドをあげました。
カタコトの単語を並べて話します。そしてプレゼントと言いました。
「イゴメ」とか「ヤゴメ」と言っていた。それを聞いて?でした。
アッ。「マゴメ」だ。昨日、馬籠に泊まって、ここまで歩いて来たのでした。
写真を撮っても良いかと聞くと、OKでVサインしてくれました。
そして、最後。
握手をして分かれました。
このおバアちゃん。「YOUは何しに日本へ」で、成田でキャッチされたら、密着取材となるようなケースだと思います。
彼女の名を聞いていませんでした。
聞いておけば良かったと言う気持ち。でも、オーストラリアのおバアちゃん。それで好い。
一期一会の出合でした。


上宿の一里塚

(15:40)
一里塚で塚に石柱が立っています。


市川製茶

(15:48)
歩いていて、黒板に目が行きました。
それに窓を全開にして製茶をしていますので、お茶の香が外まで漂って着ていました。
市川製茶
〒508-0011 岐阜県中津川市駒場488−5
0573-65-2842



窓から覗き込み、ご主人に撮影しても良いかと聞くと、出来立ての茶を持ち、ポーズをとってくれました。
今は新茶で忙しいのでしょう。




(15:53)
これから向かう中津川の町。


中津川橋

中津川橋から見える恵那山。
恵那山が大きく見える所まで歩いてきました。


本町公園

(16:06)
中山道からはずれ、本町公園へ来ました。
中津川行きの電車が見えます。





D51を静態保存しています。
ナンバープレートが盗まれたりする。
でも、このD51。籠の鳥状態でした。



中津川遊歩道公園

(16:12)
本町公園から中津川遊歩道公園が続きます。
この遊歩道公園。以前に来た事が有ります。それで、寄って見たいと思っていました。





この公園。
中山道六十九宿にちなんで、宿場名を刻んだ六十九個の石碑が通りに沿って建てられています。
この遊歩道は昭和44年に廃線となった、旧本州製紙中津川工場への引込み線の跡を活用したものです。



愛知川宿や番場宿。
69個の石が並んでいます。


JR中津川駅

(16:41)
JR中津川駅まで歩いてきました。
列車は毎時20分と50分でした。
でも、16時台は16時55分となっていました。





歩く前と歩いた後です。
30キロ余りを歩きました。



アクシデント

(17:56)
これは瑞浪駅です。
列車が中津川駅を出て、順調に走っていたのですが、瑞浪駅へ来てストップしてしまいました。
車内アナウンスが何回か有ったのです。前を走る普通列車が瑞浪駅と土岐市駅の間で異音を感じたので点検のため停車した。そのため、前に進めないと言うものでした。
結局、異常が無かったようで、前の普通列車が動き出した。それでも、この列車は踏切りの点検があり、直ぐには走り出せないとの事でした。
再三にわたる車内アナウンスでどのような状態なのかは判りましたが、列車が瑞浪駅に停車したままの状態が1時間近くかかりました。
18時20分頃になって、漸く発車しました。


感想
この街道歩き。歩き始めは2月でした。そして、今は田植えが済んだ田圃。そしてオタマジャクシ。
季節の移ろいを感じます。
外国人との出合い。こう言う事が有るのが街道歩きの面白さかもしれません。京都に向かって歩いているだろう、あのオーストラリア人のおバアちゃん。
今はどの辺りを歩いているかと思ってしまいます。


今日の経費
JR那加駅からJR武並駅まで1,140円
JR中津川駅からJR那加駅まで1,490円
木の香ランチ他 700円
ビール他 602円
            合 計 3,932円


kオジサンの中山道旅日記  その10
6月9日(土) 晴 JR中津川駅から馬籠バス停まで  へ

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