ウオーク同好会の4月例会です。今月は大垣市の赤坂宿を歩く事となっていました。
中山道の赤坂宿は江戸から数えて57番目の宿場です。そんな街をボランティアガイドに案内されながら、ゆっくりと歩き、街道の歴史などを学ぶ事ができました。
何回か訪れた事が有る赤坂宿。そんな宿場町でもボランティアガイドに案内されて新しい発見が有りました。
また、お茶屋屋敷跡を訪ねました。
丁度、見頃のボタンを愛でることが出来たのが良かったです。
大垣市商工会発行。美濃赤坂から引用しました。
大垣駅の3番ホームです。
私たちが来た時に、既に電車が待っていました。
この列車。
9時30分発の美濃赤坂行きです。
列車が美濃赤坂駅に着きました。
美濃赤坂駅はICカードが使える範囲の外となっていました。
ICカードの範囲外となっていたので、現金で乗車区間を精算し、運転士にカード情報の証明を作製して貰いました。この運転士。美濃赤坂駅から運転して引き返します。
9時56分の折り返し運転となりますが、時間に余裕が有りました。
多人数への応対でしたが、時間が無かったら焦った事でしよう。
美濃赤坂駅の駅舎です。
ボランティアガイドの方が待っていてくれました。
駅で待っていてくれたボランティアガイドの伊藤さんです。
「ふるさと大垣案内の会」のベストを着て活動しています。
美濃赤坂駅から歩き始めました。
板塀の家屋です。
近家に火災が有った時は、防火のため板をめくりあげてしまうことが出来る構造になっていると説明が有りました。
この場所、赤坂宿本陣公園となっています。
奥に所 郁太郎の像が見えます。
所 郁太郎の像の前へ来ました。
ボランティアガイドによる所 郁太郎の解説です。
石碑に所 郁太郎の紹介が彫られています。
西濃鉄道の赤坂本町駅跡です。
今の西濃鉄道は金生山から石灰岩を運び出す貨物線となっていますが、かつては乗客対応をしていました。
かつて使っていたプラットホーム。
ガイドの案内が無かったら気づかなかったです。
赤坂港会館です。
赤坂の街を歩きます。
赤坂町の中心となる場所でここは四ツ辻です。
この先、谷汲巡礼街道です。
四ツ辻に設置して有った赤坂宿の解説です。
お茶屋屋敷跡へ来ました。
ここは徳川家康が中山道沿いに造営した将軍用の休泊所とした跡です。
創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や空壕の一部が残っています。
多くのボタンが植えられ、ボタン園として、一般開放されています。
現在は個人の所有となっています。
白いシャクヤクを見かけました。
奥の方へ進んで行きます。
奥の方の一段、高くなった場所です。
土塁が築かれた跡です。
以前にもお茶屋跡へは来た事が有りましたが、このような土塁跡が有るのを知りませんでした。
家康が宿泊したと言うが、防備を供えていたのでしょう。
ボタン園です。
ボタン園です。
ボタン園です。
色々のボタン。
今が見頃。
目を楽しませてくれました。
鎧塚へ来ました。
関ケ原の合戦の前哨戦が杭瀬川を挟んで戦われました。
戦死した野一色頼母が鎧兜とともに葬られたと言う。
大塚一号墳へ来ました。
その解説です。
大塚一号墳の解説板。
トレンチの構造。出土品を解説しています。
昼飯大塚古墳へ来ました。
この古墳は前方後円墳で東海地方でも指折りの大きさです。
頭頂部に繋がる階段。
頭頂部に上がってみました。
向こうに見える小山は岡山です。
家康が陣を張って戦に勝ったことからお勝山と呼ぶようになりました。
頭頂部から西方の眺めです。
下側が方墳部です。
ボランティアガイドに案内されましたが、ここでお別れとなりました。
北消防署の赤坂分署へ来ました。
ここが路線バスの出発点となっていました。
来る時はJRの美濃赤坂線で来ましたが、13時台は12分が有りますが、14時台15時台は無くて次は16時07分となります。それで、帰りは名阪近鉄バスで戻ります。
最後に
今月のウオークは大垣市赤坂を訪ね、ボランティアガイドに案内されました。
色々と教えて貰いました。
西濃鉄道の古い駅の跡やお茶屋跡に土塁が有った事などの説明でした。
こんなことを知ることが出来たのもボランティアガイドに教えて貰えたからです。
お茶屋跡のボタン。
今が盛りのボタンを愛でることが出来て良かったです。