日暮らし通信


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・・・入院・・・そして退院 (私の闘病記・その一)

2021年05月09日 12時31分11秒 | 日暮らし通信
発信元:  赤とんぼ
■□ 撮影場所 □■

市北部の路上にて

(2021.5.8)


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私が入院した市北部の総合病院


三階の病室で13日間暮らしました




人生、時には思いもよらない突発的な事が起きる。今までの人生の中で実際に多くの出来事を経験してきたが、それが人生だと淡白に考えながら生きてきた。

しかし、その出来事に遭遇した時、(よわい)80歳を越えた私には時には命取りの危険な状態が待っていたことを知る由もなかった。

4月26日、街医院へ通院、診断の結果、驚くべきことに肺炎が発症しているとのことで、”即入院” との医師の言葉に気が動転した。

その時まず気になったのは家族のこと、もしこの肺炎がコロナと関連した場合に及ぶ影響を危惧するとともに、Mの介護をどうするのか? も気掛かりの一つだった。

その後、救急車で市北部の総合病院へ搬送されて入院、8日退院したが、この間私にとっては貴重な経験をすることになった13日間だった。

だがこのような肺炎発症は突然起るのものでも無く、原因となるべき事象が起きていたことも確かだったが、その経緯を振り返ってみよう。

私は持病治療のため街の医院に月一通院している。

4月22日、あるデータ値が高いのでそれへの対策として新たな薬 (朝昼夕内服) が処方された。
だがその薬は私の体に合わないのか、過度の血圧低下を招いてしまった。

24日通院、医師はこの事象に対して十分な対応をすることなく、内服回数を朝夕に変更して様子を見ることにした。
この時 「喉がおかしいので診てください」 と要求したが、 「今はコロナ禍なのでその部位は耳鼻咽喉科で受診してください」 と断られてしまった。
以前、風邪気味の時などには軽く診てくれたのにと不自然さが残ったが、もしその時、喉の診察が行われたら、早期に肺炎が判ったかもしれない。

だがこの血圧低下は思わぬ展開に進むことになる。
25日 (日) 朝薬内服。一時間後には血圧が低下し、意識が朦朧となった。
床に座っても立ち上がることもできず、長男夫婦の助けを借りてやっと和室で横になったが、血圧も60台まで低下、ますます表情が悪化、吐き気、震え、寒気などが頻繁に付きまとうようになった。

私は不安定な感情の中で危険を感じ、救急車を呼ぶことも考えたが、薬の効能は必ず切れる時間があるはず、そうなれば血圧も上がるはずだと期待し、ひたすら我慢するのみと必死に堪えるしかなかった。

この何だか判らない苦痛の中で私は 「死」 を身近に意識もした。だがその意識は 「Mを残して先に逝けない」 との単純な答えで消えていった。

苦しむこと約8時間、17時過ぎには血圧も110台に戻ったがふらつく体は自由の無い抜け殻のような一つの固体だった。
つくづく薬の副作用の恐ろしさを感じた一日だった。だがこの話し、まだまだ続きがある。

翌日、26日 (月) いつもなら自転車での通院だが、今日は長男が車で送ってくれた。
医師に 「昨日は死にかけました」 との状況を話したがあまり真剣に聞いているとは思えなかった。それともこの薬の副作用の事例が無いのか、あるのかはどうなのだろうか? 医師は対処策を考えていたが 「心電図検査と胸部レントゲン検査しましょう」 と検査を指示した。

ここは街中の医院だがかなりの検査設備は整っているようだ。まず心電図、そして胸部レントゲン検査と終わった。
暫くすると防護服着用の医師 (先程までは通常の白衣だった) が私に、 「肺が真っ白です。これから救急車を呼びますので入院してください」 と、口早に言った。

私はびっくり仰天したがコロナ感染も意識したので急遽防護服を着用した様子だ。医師も慌てているようだが、もう少し丁寧な説明が必要ではなかろうか?

その後、私は別室に移され、右親指にクリップ式のメーターを挟み混まれて看護師から 「このままで」 と、待機させられたがこれも何の説明も無い対応だった。

ところでこのメーターは血中の酸素濃度を測る重要な器具で 「オキシメーター」 と呼ばれるそうだが、私がこの 「オキシメーター」 のことを知ったのは、入院してからの看護師さんたちからの情報だった。

ちなみにこの医院での私の血中酸素濃度は78%、非常に危険なレベルだったそうだ。

 「オキシメーター」 で測りながらやはり気になるのはコロナ禍による感染で、特に家族を巻き込んだらどうしようか? との気持ちを抑えることが出来なかった。更に私が入院したらMはどうなるか? と苦しい想像が続いた。

12時半前、救急車出発。私は救急車のストレッチャーに横たわり総合病院へ向かった。どこの病院へ行くのか? も気ががりだったが、昔から馴染みのあるこの病院へ入院したのも何かの縁があったのだろう。

救急車に乗った時、私は特に自覚表情があった訳ではないが、救命士が引き継いだ私の酸素濃度に対しては危険性を感じていたとの事だっだ。

病院に到着後、 『救急処置室』 でいろいろと検査準備を受けた。 『肺が真っ白だ』 と言われたが医師が見せてくれた写真を見ると、左肺の三分の一が白かった。この時の酸素濃度は88%と後から知った。

また街の医院からの私の情報と胸の写真を見た救急担当医師は 「こりゃあ、コロナじゃないな!!」 と言った。その言葉に私も随分と安堵した。
専門医は簡単なデータや写真からコロナによるものかどうかの判定は可能とのことだ。

さて、私の闘病生活が始まった。いったい、如何なる治療が待ち受けているのだろうか?

その後の状況については次ぎのプログをご覧ください。