私、何度も言う様ですが、福島県いわき市の生まれ。現在は宮城県仙台市在住です。
当然、父方、母方の祖父祖母はいわき市に住んでまして、盆と正月は4号線から6号線、つまり浜通りを通って帰郷してました。
距離は190キロ台の道のりでしょうか。ノンストップでクルマを走らせて3時間40分。食事を取り取りで4時間20分位かかってましたね。
今思うとホントに良い思い出でした。中間点の原町市(現・南相馬市)には東京タワーの先輩格で、まるで細いバベルの塔の様な原町無線塔(通称・電波塔。全長200m。関東大震災の発生を全世界に発信。現在は解体され、10分の1程度のミニチュア番がモニュメントとしてある)が立っていて、「やっと半分・・・・」なんて思ったりしたもんです。
今はご存知の通り、福島第一原発の放射能事故で通れなくなっています。半径20キロ県内はね。
仕方なく、現在は4号線から中通りを通って郡山市へ。そこから磐越線の下道を通っていわき市に行ってますが、ノンストップで浜通りより1時間以上かかります。
高速使えば3時間とチョットで付きますが、何で東電のせいで高速代使わにゃならんと思いますね。「高速代出せよ東電」と何時も思いますよ。まっ、意地でも私は高速は使いませんけど・・・・・、腹が立ちますしね。
まっ、このプログ読んでいる奇特な方は、東北地方以外の方もいらっしゃると思いますが、もし、お近くの地域が立ち入り禁止となったらどう思いますが。しかも立ち入ると放射能で体が蝕まれるとしたら・・・・・。
私、正直、まだ実感がわかないのですよ、未だに。こんな事、私の故郷で起きているなんて未だに信じられません。
童謡に「汽車」と言う歌がありますよね。「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと。思う間も無くトンネルの~、闇を通って広野原~」ってヤツです。
この歌、実はいわき市の平駅から汽車に乗って下りの常磐線を走り、広野町の野原までの車窓の景色を歌っているんですが、この広野町が原発20キロ区域で入れないなんて、本当に信じられませんよ。
いやー本当に、本当にエライ事してくれたもんです。津波は仕方ないとしても、放射能は何とかなった筈ですからね。悔やんでも悔やみ切れません。
私、震災で多少なりとも欝を併発しておりますが、この地域に住んでらっしゃる方は辛いでしょうね。私でさえ辛いのですから、本当に気の毒でなりませんわ。
解決する日が来るのか来ないのかも分からんし、只、只、呆然とするだけですわね。
えー、話は最初から大幅にずれて、私の愚痴からスタートしてしまいました。失礼しました。6号線の浜通りに戻します。
実は、子供の頃から疑問に思っていたことがありました。何故、6号線はもっと海っぱたに造らなかったのだろうかと。
私、無類の水好き、釣り好きで、川や海を見るとワクワクするんで、「ずっーと海を見ながら故郷に帰れれば良いなぁー」なんて思っていたんです。海は広野町に入って、やっと見えてくるだけでしたからね。
それに6号線は古来からの道との事ですが、6号線近辺は貝塚や古墳が多く点在しています。
海で魚や貝を捕りに行って、何で数キロ離れているこんな所に貝塚や古墳があるのか不思議でなりませんでしたね。
でも、3.11でやっと分かりました。津波は6号線でギリギリ止まりましたから・・・・・・・。
つまり昔の人は、津波がここまで来た事を知っていた。だから海の近辺には居住していなかった。故に6号線の近くに古墳・貝塚があるのだ。そして昔津波があった事を忘れてしまったから、3.11で甚大な被害が出て、放射能事故にも繋がったのだと・・・・・。
昔の人は津波の警鐘を古墳、貝塚、そして古道であった6号線の存在で鳴らしていた。それに現代人は気付け無かった・・・・・・。
あー、ホント残念です。残念で残念でたまりません。本当に残念です。
つづく。