諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

洩矢神が鉄輪で建御名方神と戦った意味。 その1

2013年10月19日 13時28分17秒 | 神道

えーとですね。鬼渡神を考えてての疑問に、鹿島神・建御雷神と諏訪神・建御名方神との関係があります。鬼渡神は鹿島神と諏訪神の共通点があるのです。

それは何か。「名前が似ているから」と言ったら怒られそうですが、鬼渡神で考えると鹿島神と諏訪神は同神の様に思えるのです。

まだ漠然としか説明出来ませんので、今日の処は説明しません。何時もながら又の機会にしたいと思います。

さて、「出雲の国譲り」の話はご存知だと思います。出雲の稲佐の浜に上陸した天孫族の建御雷神が、十握の剣の柄を海に突き刺し、なんと剣先に胡坐をかいて、「出雲を譲るのか、否、佐」と大国主に国譲りを迫った訳です(だから稲佐の浜なんでしょうね)。

私が大国主であるならば「膝まづいて建御雷神に近づき、隙を見て立ち上がり、建御雷神の両肩に手を置き、力一杯押し下げて串刺しにするなぁー」なんて、昔は考えたもんですが(建御雷神様、ゴメンナサイ)、シュメール語で約すと別の意味になる様です。変だなぁーとは思っていましたけど・・・・・・・。

まあ、そんな話はどうでもいいのですが、大国主は「国譲りの件は事代主に聞いてみて」と言って、事代主に尋ね、事代主もそれを了承。

そして国譲りが成立した訳ですが、事代主の弟の建御名方神はそれを良しとせず、建御雷神に腕相撲を挑むも、建御雷の腕は氷になったり剣になったりで、建御名方神はボロ負け(建御名方神様、ごめんなさい)。諏訪まで逃げて諏訪から出ませんから許してと言う事で、命を長らえた事になってます。

でも、まあ、実際は、出雲から逃げてきた諏訪に逃げてきた建御名方神は、諏訪の地主神である洩矢神に戦いを挑み、洩矢神を破り諏訪を占領。めでたく建御名方神は諏訪神となりましたとさ、と言う事です(洩矢神様、ごめんなさい)。

何時もながら話はここからです。建御名方神と戦った洩矢神ですが、鉄輪を武器にして戦ったと伝わっています。私は思いました。「それじゃ負けるだろ」と。

鉄輪を武器にしたのであれば、鉄輪をメリケンサックの様にして殴って戦ったのでは。うーん、そんなんじゃ剣に勝てっこないと思いました。誰だってそう思うでしょ。それじゃ駄目でしょと思いましたね(洩矢神様、またまたごめんなさい)。

そして月日は過ぎて数日前、貴船神を調べてて「これだっ」と思える鉄輪の使用方法を知りました。断言は出来ませんが、多分、これなのではと思います。駄目なのは私の方だと愕然としました。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする