諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

洩矢神が鉄輪で建御名方神と戦った意味。 その3

2013年10月24日 00時04分04秒 | 神道

えー、ここで疑問です。

何故、公卿の娘は宇治川に21日間浸かって鬼女・橋姫になれたのか。

勿論、貴船神が川に浸かった女を21日間かけて橋姫に変身させたと言えますが(当たり前だけど・・・)、何故、川に浸かれば鬼女になれるのか大変疑問です。

だって橋姫である瀬織津姫は水神でありますが、祓い清めの神でもありますからね。

つまり、瀬織津姫なら身も心も川の水で祓い清められる筈なのに、橋姫は21日間川の水に浸かる事で、身も心も鬼に変わった訳です。話は逆です。どうなってんでしょう。

瀬織津姫は三途の川の奪衣婆であるとされています。そのおどろおどろしいイメージから、鬼を連想したのでしょうか。

うーん、私、以前から引っかかっていたのですが、瀬織津姫は本当に祓い清めの神なのでしょうか。

鬼渡神で例を挙げるなら、鬼渡神は疱瘡神であり、おぼこ、つまり子供の神です。何故、子供の神になったのか。

ワクチンのない時代の疱瘡は難病です。死の病だったと言えます。そして疱瘡にかかるのは子供です。

子供が疱瘡にかからない為に、疱瘡の菌を撒き散らす鬼渡神に疱瘡を広めないように願った。そして鬼渡神が疱瘡を撒き散らし子供を殺す神から、子供を守る神に変わっていったと私は考えています。

それを瀬織津姫に当て嵌めるとどうでしょう。もしかしたら瀬織津姫は祓い清めの神だったのではなく、祓い清めなければならない存在だったのではないでしょうか。

その説明を解く鍵は修験道の滝行や沼矛印であり、陰陽五行で考える「甘い香り」にあると思うのですが、この件はもう少々考えを練ったから書きたいと思います。

私にもしがらみがありますし、瀬織津姫は恐ろしい神です。中々難しい問題ですしね。

さて、橋姫に戻ります。

この橋姫、つまり瀬織津姫がモデルの参拝方法があります。それは貴船神社名物、丑の刻参りです。

この丑の刻参りですが、白装束の衣服をまとい、橋姫の様に赤でなく白粉を顔に塗りたぐり、一本歯の下駄を履き、胸に鏡をぶら下げ、腰に刀、口に櫛を咥え、藁人形と五寸釘、そしてトンカチでもって御神木に、カン、カン、カンと打ちつける訳です。

藁人形には呪い殺したい憎いあん畜生の毛・血・皮膚・写真・名前を書いた紙を入れればモアベター。

頭や顔、急所や心臓等々、お好みの場所と言うか、ここぞと思う場所に呪いを込めてカン、カン、カン、カンとやるんですね。

ルールとしては当然丑三つ時、つまり午前2時から3時の間の魔界が開く時間帯??に行います。そして簡単に藁人形が外れ落ちないようにしっかり打ちつけなければ効果は薄いです。簡単に取り外される様では駄目って事です。

そしてそして、これだけは絶対守って欲しいと言うか、十分に注意しなければならないのは、この行為を「人に見られるな」と言う事です。

貴船神の住まう霊場の大切な御神木に釘を打ちつける訳ですからね、呪うのも命がけです。洒落じゃ済みません。必死の願いです。それだけの事をしているのですから、人に見られた暁には貴船神も大変お怒りになります。

憎むべき者への恨みとその呪いが、自分に返ってきて命を落とす事になります。それほど貴船神は厳しく恐ろしいのです。

これは本当に困ります。

 

つづく。

 

 

コメント
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