続きです。
この話は本当なのか。
一応、悪玉姫が田村麻呂を産んだ場所には子安観音が祀られています。田村麻呂が勉強するために10キロ程度離れた当時寺子屋だった洞雲寺へ通ったとの伝承もある。
子の田村麻呂と一緒に父の田村麻呂の住まう都へ向う途中、悪玉姫が化粧したとされる化粧坂も残っている。
でも悪玉姫伝説は大体似たような伝承で東北中に散らばっています。九門長者屋敷の悪玉姫が本当だとは断言出来ない。
九門長者屋敷の悪玉姫伝説で一番の注目は、悪玉姫の夫と子がどちらも坂上田村麻呂と言う事。岩手の飽玉姫は田村麻呂の父の苅田麻呂が夫ですが(本当??の后の名は阿久和姫)、九門長者屋敷では同じ田村麻呂。これは何を意味しているのか。
私のブログを読み続けている奇特なお方はご理解いただいていると思いますが、聖婚、つまり近親婚を意味しています。これは悪玉姫が国津神であると証明していると考えます。そして悪玉姫は田村麻呂を養育する立場にある
更にキーワードは数多い。
先ずは「九門長者屋敷」。つまり九曜紋です。伊豆佐比売神社の神紋も九曜紋。九曜紋は「太陽と北斗七星」を示している。妙見信仰です。
九曜紋は太陽と北斗七星をくくり付けた神紋。くくり付けたのは菊理姫。白山信仰も浮かび上がる。どちらの信仰も瀬織津姫の影が見えます。瀬織津姫を祀る早池峰神社の神紋は仏教の法輪を重ねた九曜紋ですし。
次に悪玉姫の父親が「斎大納言」と言う点に注目です。私、調べたのですが斎大納言なんて人は実在しません。では何故に斎大納言としたのか。
これは「斎=サイ」。賽の河原のサイ。つまり幸神信仰。悪玉姫は幸神の姫である事を指していると思います。そして斎王との関連も指摘できますね。
更に悪玉姫の「悪玉」。これは天照大神荒魂の「荒魂」を「悪玉」で示していると考えます。
以上、キーワードを上げてみましたが、この伝説、どこかで聞いた事がないでしょうか。
これも私が「熊野の本地、五衰殿」と題して書きましたが、五衰殿のストーリーと似ています。五衰殿は千手観音に美しくなるように願った。悪玉姫は貴人にはそのままの姿で、凡人には醜く見える様にと観世音菩薩に願った。それでどちらも夫を得た。
神道での女性の罪は美しさに嫉妬する事ですが、美醜がキーワードと言う点が共通しています。
しかも斎大納言は紀伊の国の公家。紀伊と言えば熊野です。しかも子の田村麻呂の幼名は「千熊丸」。これは熊野の本地・五衰殿の仏号である千手観音をイメージさせる。この点も共通していると思います。
九門長者屋敷にはもう一つ秘密が隠されています。悪玉姫は紀伊の国出身。「紀伊」は木」を意味している。アイヌではシラッキカムイ(木材の神)、シランパカムイ(木の神)が人間に一番身近な神である。
オシラサマも木の神であり敷地・屋敷の神ですが、九門長者屋敷は悪玉姫がオシラサマでもある事を示していると思います。
それでは悪玉姫と坂上田村麻呂との関連は何か。
田村麻呂は多くの渡神系の神社を建立しています。これは祟りを恐れてです。田村麻呂は金等の略奪を目的に日高見国を襲った。蝦夷を制圧したのです。制圧された側としては自分達の信仰している神までも否定されては適わない。それだけは許さない。
田村麻呂としても制圧された蝦夷を怒らせ、反乱がぶり返すのも好ましくない。そうなると蝦夷達が信仰している神を尊重する必要がある。自分も蝦夷の神を信仰する立場を取る。
更には田村麻呂を神格化させ蝦夷達の神と同列、或いは同源とすることで穏便に制圧・統制したいとする考えが生まれた。
それは本来、日本の地主神だった太陽神を征服者である天孫族が自分達の始祖神であるとして天照大神を祀ったのと同じ意味合いがあると思います。
この悪玉姫の名はアテルイとされる悪路王と同じ意味合いがある。蝦夷側の神であったと考えられる。それが田村麻呂の魅力での田村麻呂側に付いた。
それは瀬織津姫とされる立烏帽子、鈴鹿御前のストーリーとほぼ同じ。敵対していた田村麻呂側の味方に付いた事として、蝦夷の神を自分達の神として信仰し、反乱を抑えたと考えます。
その一方で不味い事があります。蝦夷の神の信仰が続き、何時の日かまた蝦夷の神の元に蝦夷たちが集結し反乱を起こす事が考えられる。その為には蝦夷の神を暈して忘れさせ、うやむやにする必要もあった。
極論、蝦夷の神はアラハバキ神です。そのアラハバキ神の名を妖怪として落とした。しかしながら迫害を恐れて、仏教の弁才天やダキニ天を隠れ蓑としてアラハバキ神の信仰が続いた。だからこそ早池峰神社や伊豆佐比売神社にお稲荷様が一緒に祀られていると考えられます。
続く。