続きです。
金太郎の伝承は各地に残されています。中でも生まれた場所の一つとされている静岡県小山町の金時神社は金太郎の産湯とした「ちょろり七瀧」がある。さらに金太郎親子が信仰したと伝わる第六天社がある。何故に金太郎親子が第六天魔王を信仰していたのか気になります。
以上は殆どウキペディアの丸写しですが、一番重要な点は金太郎こと坂田金時なる人物の存在が大変疑わしい事です。
坂田氏は元々は地名から発生し600年頃から名乗る人が出ていたようです。多分、坂になっている田圃を持っていた人なのでしょう。因みに「吉田さん」は葦が生えた田圃を持っている人を意味します。良い田圃じゃなくて悪い田圃です。貧乏なお百姓さんの意味でもあります。そこから考えると坂になっている田圃も田植えが大変でしょうから、あんまり豊かなお百姓さんじゃないと思います。余計なお世話ですけど。
坂田姓も全然名門ではありません。金太郎程の有名人を出しているのだから、誰か知られた人が出ても良いと思うのですが、「坂田真人」と言う人がいたくらいです。「真人」の意味は仙人だそうですから、坂田の仙人と言う意味になります。何をした人なのかは知りませんが。
実は「坂田金時」にもモデルがいるとも伝わってます。平安中期、藤原道長(966~10この28)の時代に京都の皇居を警護していた「下毛野の公時」と言う12歳の子供です。美少年で武芸や馬術にも秀でて、とんとん拍子に出世して人気があったそうです。
しかし残念ながら九州征伐に向かう途中、やはり岡山県で熱病にかかりポックリと死んだそうです。確かにある程度は似ているストーリーだと思います。
では何故に下毛野姓ではなく「坂田」にしたか。私は今回の御題の通り坂上田村麻呂を示しているからだと考えます。「坂上田村麻呂」、略して「坂田」なので。
坂田金時は源頼光の四天王でした。田村麻呂は大伴弟麻呂が征夷大将軍時代に4人いた副将軍の1人です。
時代は金太郎の坂田金時(956-1012年)、田村麻呂(758-811年)。約200年時代が違いますが、金時は56歳、田村麻呂は54歳で共に病死しています。
金太郎のストーリーで考えると多くの動物と仲が良い。そして熊と相撲をとっていた。これは熊野権現である五衰殿の王子が虎や狼に守られて育った話と似ています。金太郎は武芸を熊から教わった。田村麻呂は熊野で鬼退治をして退治した鬼を熊野国総鎮守として祀ったとしています。さらに熊野権現を信仰していたと伝わっています。
悪玉姫伝説においては田村麻呂の幼名は「千熊丸」。これも共通点です。
金太郎を養育したのは山姥ともされていますが、「姥」は「最初の巫女」を意味します。この山姥と五衰殿、そして悪玉姫は被るのではないでしょうか。五衰殿は千手観音に願をかけ、悪玉姫は観世音菩薩に願をかけていますので。
熊野では五衰殿の王子の本地は十一面観音です。そして田村麻呂は多くの十一面観音を建立した。これは「十一面観音=坂上田村麻呂」として、英雄・田村麻呂を信仰して後世の人が建立したとも考えられます。
続く。
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