諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫の「津」の意味を考える。

2017年07月02日 08時52分25秒 | 瀬織津姫

これまで瀬織津姫を直訳して「瀧の姫」だと書きました。

速川神社で発音される「ショウリツヒメ」をアイヌ語で訳すと、「瀧で毛皮を剥ぐ姫」。

瀬織津姫をそのまま「セオリツヒメ」でアイヌ語で訳すと「毛皮を剥いで入る姫」。入るのは黄泉の国。つまり「毛皮を剥いで黄泉の国へ持って行く姫」と訳しました。

ただ問題点があったのです。「津」の字です。「ツ」の意味はアイヌ語には無い。「津」の本来の意味は「天然の港、入り江」、或いは間接詞の「~の」。

私は間接詞の「~の」で考えていたのですが、「津」の字は「天然の港、入り江」も意味が通じる。「瀧で毛皮を剥いで入り江に持って行く姫」、「毛皮を剥いで入り江に入る姫」として。

ここで大祓祝詞をご存知の方はピンと来る筈です。

川上に座す瀬織津姫が穢れを河口の速秋津姫に流す。速秋津姫はその穢れを受け取ると、夫である速秋津彦命と同神と思われる気吹戸主に渡す。気吹戸主は渡された穢れを息で吹き飛ばし、根の国、底の国に座する速佐須良姫へ。穢れを受け取った速佐須良姫は穢れと共に流離って、穢れを消滅させる。それで祓戸四神の祓い清めが終了となります、

天然の港や入り江は大抵は川の河口です。そして速秋津姫は水戸神。港の神。水の戸ですから川の河口です。つまり「津」の字を「入り江、河口」としても意味が通じます。

そして「穢れ=毛刈」。瀬織津姫は「穢れを河口まで持って行く姫」と訳せる。河口で待っているのは水戸神・速秋津姫。大祓祝詞のストーリーにも意味が通じる。やはり日本語の根底には、アイヌ語が流れているのは間違いないと思います。

まっ、日本語のルーツは全部とは言いませんがアイヌ語ですけど。

そこでです。「津」の字を本来の意味で考えたらどうなるのか。漢字のルーツは象形文字。象形文字での「津」の字の形は何を表していたのか。

その答えは「人の身体から血が噴出している様」です。

そこから訳すと「穢れを血だらけになって河口まで持って行く姫」と訳せる。これはどう言う事なのか。

毛皮を剥げば血だらけ。そして死んでいます。そして神道の神々は人の代わりに罪を犯す。或いは疑われる。無実の罪を被せられる。それで罰を受ける。辛い思いをする。時には死ぬ。つまり人の罪を自ら実践して肩代わりするのが神道の神々の特徴です。

その事を踏まえて瀬織津姫を訳すと「人の罪・穢れを自分が背負い、血だらけになり入る姫」となります。

血を流すのは熊野権現である五衰殿もそうです。無実の罪を被せられ、処刑場の山まで裸足で歩かされる。足は血だらけ。そして処刑場で首を刎ねられる。血が噴出す。

熊野権現である五衰殿も無実の罪で酷い目に合いますが、それは人の罪・穢れを背負い、自分がその罪の報いを人に代わって受けるからです。

熊野権現である五衰殿は瀬織津姫の仏教的解釈で間違いないと思いますが、瀬織津姫も人の罪・穢れを引き受け、血を流し苦しみ死ぬ事で穢れを速秋津姫の元に運ぶ。その意味が瀬織津姫の名前に隠されているのではないでしょうか。

うーん、ご理解いただけましたでしょうか。うーん、説明が難しい。ちょっと弱いですか。

しょうがない、また機会があればもっと判りやすく書きたいと思います。今回はこのへんで。

 

ではでは。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする