♪ショーコー ショーコー ショコショコショーコ あ・さ・は・ら、ショウコー
♪ショーコー ショーコー ショコショコショーコ あ・さ・は・ら、ショウコー
そうか、麻原彰晃が死刑執行されたか。今年中に執行されると思っていたが、やっぱりお盆前だったな。うーん。
私が法務大臣だったら、やっぱり今の時期が一番良いと思う。夏休みのレジャーシーズンの前じゃないと、色々あるだろうし。
オウム真理教には色々考えさせられた。私はオウムの本を読んで、麻原彰晃は座禅を組んで本当に宙に浮く事が出来ると思った。この人は神に近い人なのではないかと思った。
実際会った事は無いが、信者達は秋葉原で何度も見かけた。
長髪の清楚で美しい女性を中心に円陣を組み、「パソコン安い、マハポーシャー 、ピピリピピッピ、ピッピッピィー」とシュプレキコールをあげていた。ライバルの電器店の前でた。
あんな真似は私には出来ない。これが信仰心と言うものなのだろう。彼らは麻原を神と信じていた。信じていたからこそ、あんな真似が出来た。凄さと恐ろしさを感じた。
今回、麻原と一緒に死刑執行された弟子は6人。殆ど私と同世代の人間。
私、多くの宗教の人と出会って来たが、信者でこの人は悪質な人間だと思った事は一度も無い(教祖やヒーラーは別)。どんな宗教でも信じる人達の心は純粋で良い人。尊敬できそうな人が多かった。
でも純粋な人は濁っていないから、悪にも簡単に純粋になれる。否、悪とは思っていない。神を純粋に信じている。神の為なら全てが正義と信じている。その心が宗教戦争を生んで来た。
大抵の宗教は戦争兵器となりえる。キリスト教も仏教も聖戦と称して殺戮を行った。神道も天皇が神だとして戦争を行った。
宗教は心を狂わせる疱瘡の様な物。良薬の部分は確かに有るが劇薬としての副作用も有る。
先日、病院に行く途中、運動がてらに仙台の中央通商店街を歩いていたら、托鉢のお坊さんが立っていた。
私は300円程度のお金を捧げて聞いてみようと思った。
「本当に貴方は仏教を信じているのですか。仏教も多くの人を殺してきた。大仏に金箔を塗る為に罪の無い蝦夷を侵略して殺した。そんな悪の象徴の大仏を貴方は拝むのですか。多くの仏教徒は織田信長に殺された。それは祟りではないですか。仏教は悪だから罰が当たって殺されたのではないですか」と。
よっぽと聞きたかったが、多分答えられないと思う。今までの経験上、宗教の人はその神に付いて何にも知らない。上の者の命令で動いているだけ。この托鉢のお坊さんもそうではないのか。
また暫く歩くと共産党の方々がビラを撒いていた。車椅子に乗った方もいる。津波の行方不明者を探す為の募金活動をしている人もいる。それぞれ自分の信念に基づいて行動しているのか。それても上からの命令か。その集団に居たいが為に活動しているのか。
何か分らない。私は何を信じて生きて行けば良いのだろう。私の心が濁っていて、疑り深いからこんな事で考え悩むのか。何も疑わず考えず黙って信じて活動した方が幸せなのか。
今日、麻原と一緒に死刑が執行された6名の幹部達も純粋ゆえに麻原を疑わず、麻原を神と信じて正義と信じて悪を決行したのだろう。
彼ら一人一人、悪い人物では無いと思う。彼らは麻原と言う名の疱瘡に掛かった病人に過ぎないのではないのか。
しかし、彼らの疱瘡は先ず治らない。放っていては多くの者に疱瘡をうつす。日本中に疱瘡が蔓延する。やはり殺すしかないのかも知れない。
疱瘡は純粋で心の澄んだ者がかかる。
人間なんて大したもんじゃない。イエスも空海も大したことはない。人を神と信仰してはダメ。人は濁流を生きる。濁っていないと生きられない。
今日の麻原達の死刑執行でこんな事ばっかり考えちゃってます。
何が正しいのか分らないままに。
ではでは。
♪ショーコー ショーコー ショコショコショーコ あ・さ・は・ら、ショウコー
そうか、麻原彰晃が死刑執行されたか。今年中に執行されると思っていたが、やっぱりお盆前だったな。うーん。
私が法務大臣だったら、やっぱり今の時期が一番良いと思う。夏休みのレジャーシーズンの前じゃないと、色々あるだろうし。
オウム真理教には色々考えさせられた。私はオウムの本を読んで、麻原彰晃は座禅を組んで本当に宙に浮く事が出来ると思った。この人は神に近い人なのではないかと思った。
実際会った事は無いが、信者達は秋葉原で何度も見かけた。
長髪の清楚で美しい女性を中心に円陣を組み、「パソコン安い、マハポーシャー 、ピピリピピッピ、ピッピッピィー」とシュプレキコールをあげていた。ライバルの電器店の前でた。
あんな真似は私には出来ない。これが信仰心と言うものなのだろう。彼らは麻原を神と信じていた。信じていたからこそ、あんな真似が出来た。凄さと恐ろしさを感じた。
今回、麻原と一緒に死刑執行された弟子は6人。殆ど私と同世代の人間。
私、多くの宗教の人と出会って来たが、信者でこの人は悪質な人間だと思った事は一度も無い(教祖やヒーラーは別)。どんな宗教でも信じる人達の心は純粋で良い人。尊敬できそうな人が多かった。
でも純粋な人は濁っていないから、悪にも簡単に純粋になれる。否、悪とは思っていない。神を純粋に信じている。神の為なら全てが正義と信じている。その心が宗教戦争を生んで来た。
大抵の宗教は戦争兵器となりえる。キリスト教も仏教も聖戦と称して殺戮を行った。神道も天皇が神だとして戦争を行った。
宗教は心を狂わせる疱瘡の様な物。良薬の部分は確かに有るが劇薬としての副作用も有る。
先日、病院に行く途中、運動がてらに仙台の中央通商店街を歩いていたら、托鉢のお坊さんが立っていた。
私は300円程度のお金を捧げて聞いてみようと思った。
「本当に貴方は仏教を信じているのですか。仏教も多くの人を殺してきた。大仏に金箔を塗る為に罪の無い蝦夷を侵略して殺した。そんな悪の象徴の大仏を貴方は拝むのですか。多くの仏教徒は織田信長に殺された。それは祟りではないですか。仏教は悪だから罰が当たって殺されたのではないですか」と。
よっぽと聞きたかったが、多分答えられないと思う。今までの経験上、宗教の人はその神に付いて何にも知らない。上の者の命令で動いているだけ。この托鉢のお坊さんもそうではないのか。
また暫く歩くと共産党の方々がビラを撒いていた。車椅子に乗った方もいる。津波の行方不明者を探す為の募金活動をしている人もいる。それぞれ自分の信念に基づいて行動しているのか。それても上からの命令か。その集団に居たいが為に活動しているのか。
何か分らない。私は何を信じて生きて行けば良いのだろう。私の心が濁っていて、疑り深いからこんな事で考え悩むのか。何も疑わず考えず黙って信じて活動した方が幸せなのか。
今日、麻原と一緒に死刑が執行された6名の幹部達も純粋ゆえに麻原を疑わず、麻原を神と信じて正義と信じて悪を決行したのだろう。
彼ら一人一人、悪い人物では無いと思う。彼らは麻原と言う名の疱瘡に掛かった病人に過ぎないのではないのか。
しかし、彼らの疱瘡は先ず治らない。放っていては多くの者に疱瘡をうつす。日本中に疱瘡が蔓延する。やはり殺すしかないのかも知れない。
疱瘡は純粋で心の澄んだ者がかかる。
人間なんて大したもんじゃない。イエスも空海も大したことはない。人を神と信仰してはダメ。人は濁流を生きる。濁っていないと生きられない。
今日の麻原達の死刑執行でこんな事ばっかり考えちゃってます。
何が正しいのか分らないままに。
ではでは。