また間が開いてしまいました。色々考える事、やらねばならぬ事、そして落ち込む事が続いたので止まってしまいました。すみません。それでは続きます。
さて、止まっている間に残りのオウム元幹部6人の死刑が執行されました。
先の7人の死刑執行で今月中に死刑が執行されるのは覚悟していたでしょうけど、死刑が間近に迫っている恐怖。生きている心地がしなかったと思います。
でも、殺された坂本弁護士一家の無念はいかばかりか。人助けの正義の行いに対して、オウム達は坂本弁護士だけでなく、その妻も子も無慈悲に殺した。
「ポアしてあげた」。それが神の意志の如く語っていた。殺す事で現世でこれ以上罪を重ねない様にしてあげたなどと言い放った。この事実は絶対忘れてはいけない。神を装う魔物の行為を許してはいけない。
反省したって罪は消えない。後悔したってもう遅い。多くの者を苦しめた。今も苦しんでいる人がいる。オウムに殺された者の家族は生き地獄の人生を死ぬまで歩まなければならない。
その苦しみを少しでも晴らすには処刑しかない。無期懲役なんかで許してしまっては、また新たなオウムが生まれる。死刑執行は当然。遅過ぎた位だと思います。
麻原彰晃や処刑された元幹部達は何者に成りたかったのか。元幹部たちは神に選ばれた者。麻原の場合は神だったと思います。
自分は神だから人の命を左右出来る。人を殺す権利がある。
こう言う考え方、江戸時代、否、戦時中まであった。否、否、今もそう考えている者が大勢います。宗教に関わっている者の多くは、少なからず麻原のエッセンスを持っているので。
そして麻原に従った元幹部達と同様の思考の者も大勢いる。新興宗教の教祖に財産を提供する者。ヒーラーに命じられて霊感商品を購入する者等々、神を装う者に奉仕し、認められる事に無類の喜びを感じる者など。
日本人は元来、人に従うのが好き。人に認められるのが大好き。そして出来れば神の如き超能力者になりたいとする想いが心の底に存在する。誰もがそう思っている。
「機動戦士ガンダム」があれほど人気になったのもニュータイプと言う存在に憧れたから。
元幹部達は人並み以上の能力を持ちながら、現実社会では認められなかった。しかし麻原は認めてくれた。認めてくれるものは神。神である麻原無くしては生きて行けない。
マインドコントロールもあるでしょうけど、自分の人生を人に命じられて生きようとする心の弱さが地下鉄サリン等の事件を生んだ。心が弱いくせに能力者になりたいと思う矛盾が、オウム犯罪の根源にあったと言えます。
神の能力を持ちたい。どうすれば超能力を持てるのか。人に認められるのか。それには教祖やヒーラーの命令に従う必要がある。自分を認め導いてくれる者は神。神に服従しなければ自分は生きて行けない。
常識で考えて麻原の考えは狂っています。通常の人なら誰でも分る筈です。
彼らはあんなふざけた選挙活動で当選すると思っていた。常識が分からなくなっている。人の気持ちが分らなくなっている。
それは認められない。自分達は間違っていない。自分は神なのだから間違いはない。通常の人が間違っているのだ。
選挙で負けたのは政府の不正があったからと、信者も麻原自身も思い込んだ。神である自分たちが失敗する訳がないとして。
自分は神だから人は自分に従わなければならない。
この想いは織田信長も持っていた。人は権力を掴むとその権力に溺れる者が出る。それは今の政治家にも見る事が出来る。人は誰もが麻原やオウム元幹部になる要素を持っていると思います。
今回の死刑執行に反対する意見が出ています。これを無期懲役で許したら、第二、第三の麻原が発生する。麻原の尻尾みたいな者は大勢いる。それらの者を麻原そのものにしない為にも死刑は絶対に必要。
心の穢れは死でしか清められない部分が有る。「ポア」を肯定するのであれば、麻原たちの死刑執行こそが真実のボアだと思います。
またまた支離滅裂な文章になってしまいました。オウムを想うと私の心が乱れるのです。自分にも麻原や元幹部になる要素が多分にある。オウムに多少ながらも憧れた私も、一つ間違えれば処刑台上がる可能性があった。麻原の死刑執行が無ければ、自分が次の麻原になってしまうのではないかとの恐怖もある。
何かもう一人の自分が死刑執行された気分になっています。自分を抑える為にも麻原たちの死刑執行は心に刻むべきだと思います。これからも神を信じるのであれば。
ではでは。
「
さて、止まっている間に残りのオウム元幹部6人の死刑が執行されました。
先の7人の死刑執行で今月中に死刑が執行されるのは覚悟していたでしょうけど、死刑が間近に迫っている恐怖。生きている心地がしなかったと思います。
でも、殺された坂本弁護士一家の無念はいかばかりか。人助けの正義の行いに対して、オウム達は坂本弁護士だけでなく、その妻も子も無慈悲に殺した。
「ポアしてあげた」。それが神の意志の如く語っていた。殺す事で現世でこれ以上罪を重ねない様にしてあげたなどと言い放った。この事実は絶対忘れてはいけない。神を装う魔物の行為を許してはいけない。
反省したって罪は消えない。後悔したってもう遅い。多くの者を苦しめた。今も苦しんでいる人がいる。オウムに殺された者の家族は生き地獄の人生を死ぬまで歩まなければならない。
その苦しみを少しでも晴らすには処刑しかない。無期懲役なんかで許してしまっては、また新たなオウムが生まれる。死刑執行は当然。遅過ぎた位だと思います。
麻原彰晃や処刑された元幹部達は何者に成りたかったのか。元幹部たちは神に選ばれた者。麻原の場合は神だったと思います。
自分は神だから人の命を左右出来る。人を殺す権利がある。
こう言う考え方、江戸時代、否、戦時中まであった。否、否、今もそう考えている者が大勢います。宗教に関わっている者の多くは、少なからず麻原のエッセンスを持っているので。
そして麻原に従った元幹部達と同様の思考の者も大勢いる。新興宗教の教祖に財産を提供する者。ヒーラーに命じられて霊感商品を購入する者等々、神を装う者に奉仕し、認められる事に無類の喜びを感じる者など。
日本人は元来、人に従うのが好き。人に認められるのが大好き。そして出来れば神の如き超能力者になりたいとする想いが心の底に存在する。誰もがそう思っている。
「機動戦士ガンダム」があれほど人気になったのもニュータイプと言う存在に憧れたから。
元幹部達は人並み以上の能力を持ちながら、現実社会では認められなかった。しかし麻原は認めてくれた。認めてくれるものは神。神である麻原無くしては生きて行けない。
マインドコントロールもあるでしょうけど、自分の人生を人に命じられて生きようとする心の弱さが地下鉄サリン等の事件を生んだ。心が弱いくせに能力者になりたいと思う矛盾が、オウム犯罪の根源にあったと言えます。
神の能力を持ちたい。どうすれば超能力を持てるのか。人に認められるのか。それには教祖やヒーラーの命令に従う必要がある。自分を認め導いてくれる者は神。神に服従しなければ自分は生きて行けない。
常識で考えて麻原の考えは狂っています。通常の人なら誰でも分る筈です。
彼らはあんなふざけた選挙活動で当選すると思っていた。常識が分からなくなっている。人の気持ちが分らなくなっている。
それは認められない。自分達は間違っていない。自分は神なのだから間違いはない。通常の人が間違っているのだ。
選挙で負けたのは政府の不正があったからと、信者も麻原自身も思い込んだ。神である自分たちが失敗する訳がないとして。
自分は神だから人は自分に従わなければならない。
この想いは織田信長も持っていた。人は権力を掴むとその権力に溺れる者が出る。それは今の政治家にも見る事が出来る。人は誰もが麻原やオウム元幹部になる要素を持っていると思います。
今回の死刑執行に反対する意見が出ています。これを無期懲役で許したら、第二、第三の麻原が発生する。麻原の尻尾みたいな者は大勢いる。それらの者を麻原そのものにしない為にも死刑は絶対に必要。
心の穢れは死でしか清められない部分が有る。「ポア」を肯定するのであれば、麻原たちの死刑執行こそが真実のボアだと思います。
またまた支離滅裂な文章になってしまいました。オウムを想うと私の心が乱れるのです。自分にも麻原や元幹部になる要素が多分にある。オウムに多少ながらも憧れた私も、一つ間違えれば処刑台上がる可能性があった。麻原の死刑執行が無ければ、自分が次の麻原になってしまうのではないかとの恐怖もある。
何かもう一人の自分が死刑執行された気分になっています。自分を抑える為にも麻原たちの死刑執行は心に刻むべきだと思います。これからも神を信じるのであれば。
ではでは。
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