続きます。
さて、真っ白な鳥居をくぐり金蛇水神社の境内へ。
暇な人は検索してみていただきたいのですが、この白い鳥居は水の色を示していると思います。「白と水」で泉だったりしますので。
金蛇水神社は牡と藤の花が有名です。私が行った時は薄紫色の藤の花が咲いていました。藤棚になって咲いているので、その下のベンチに座って缶コーヒーを飲み飲み本を読んだら最高だなと想えます。当日は土砂降りで気温も暑いので最悪でしたが。
それにしてもこの土砂降りの中、カップルの参拝客が多いのには驚きです。金蛇水神社は二柱神社の様な縁結びの神ではないのに。
あっ、遅ればせながら金蛇水神社って「かなへびすい」って読みます。祭神は水速女命と弁財天。それぞれを祀る社があります。中規模以上の大きさです。
宮城県で金運と言ったら金蛇水神社です。弁財天を祀っているから金運なのでしょう。
神道で考えれば弁財天はアラハバキ神である金山彦神・金山姫神。表向きには示していませんが、多分、祀っていると思われます。
それにしても「金蛇水」と言う名はインパクトがあります。お守りとかも中々センスが良く、数多く取り扱っています。
私の友人の神社よりも立地には恵まれていないけど人々の信仰が厚い。分りやすい神社名だからでしょうね。
金運のご利益は神職の方々の方が受けているのではないか。ふと私のいじましい心がそう思ってしまいます。こんなところが私の底意地の悪さです。反省しなければ。
カップル達は土砂降りの中、相合傘で参拝。社務所の売店で地味目美人の清く正しい巫女さんからお守り等々を買っている。
私も釣られて自動販売機の安い方の御神籤を引く。末吉。そうだろうな。お見通しだな。
「雲の切れ間から差し込む光」と書いてある。光の字って、本当は拷問の意味なんだけど大丈夫かな。
「このごろついていないと感じても 他人をうらやむことなく・・・・」。ずっーとついていないし、他人は恨んでいないけど・・・・・、否、恨んだりもしてるかな。
「自分の運を信じて ほがらかに・・・・。明るい心と笑顔には 幸運を引き寄せる・・・・」。もう自分の運なんて信じられないよ。笑顔と言っても自分の部屋で独りでエヘラエヘラしてたら、自分が恐ろしいし・・・・。
金運は出費があると書いてある。確かに出費だらけだ。
旅行はトラブルの可能性。万全の対策を・・・・。当たっている。確かに今回の旅行はトラブルだらけだったよ。ついていないよ。万全の対策していたけど、釣りも出来なかったし・・・・・・。
良いのは恋愛運か。愛情を一人占め。幸運期と書いてある。「幸」の字は雁字搦めに縛られている状態の意味なんだけど、そっちじゃないよね。
「愛」の字は心が苦しいと言う意味。御神籤の様にシンプルに受け取るげきか。私の姓名判断は真実を底の底まで追求し、底を割る傾向があるかな。
そんな事を想いながら社務所の軒下で佇んでいると、ふと目立つカップルが居た。
女性は30歳前後。色白でぽっちゃり。茶髪でちょっとカールしててロング。驚く事に身長は185cm以上有る。
165cmの私より背の高い女性は今時珍しくなど無いが、私よりも20cm以上背が高いのは流石に珍しい。ペチャンコのサンダルを履いているのは、自分の身長にコンプレックスを持っているのか。それで悩んでいるのか。そんなの全然大した事ではないのに。
そして直ぐに感じたが、この女性、生命力が薄い。命が消えかかっている感じがする。私に似ている。
相手の男は身長150cm前後。痩せ型で眼鏡。歳は70歳~75歳程度。
この二人、親子ではない。孫と祖父でもない。雰囲気でそれが分る。どう言う関係なのだ。
それにしても年齢差は40歳前後。身長差も40cm近く有る。どう見ても変だ。どうなってんだ、これっ。
続く。
さて、真っ白な鳥居をくぐり金蛇水神社の境内へ。
暇な人は検索してみていただきたいのですが、この白い鳥居は水の色を示していると思います。「白と水」で泉だったりしますので。
金蛇水神社は牡と藤の花が有名です。私が行った時は薄紫色の藤の花が咲いていました。藤棚になって咲いているので、その下のベンチに座って缶コーヒーを飲み飲み本を読んだら最高だなと想えます。当日は土砂降りで気温も暑いので最悪でしたが。
それにしてもこの土砂降りの中、カップルの参拝客が多いのには驚きです。金蛇水神社は二柱神社の様な縁結びの神ではないのに。
あっ、遅ればせながら金蛇水神社って「かなへびすい」って読みます。祭神は水速女命と弁財天。それぞれを祀る社があります。中規模以上の大きさです。
宮城県で金運と言ったら金蛇水神社です。弁財天を祀っているから金運なのでしょう。
神道で考えれば弁財天はアラハバキ神である金山彦神・金山姫神。表向きには示していませんが、多分、祀っていると思われます。
それにしても「金蛇水」と言う名はインパクトがあります。お守りとかも中々センスが良く、数多く取り扱っています。
私の友人の神社よりも立地には恵まれていないけど人々の信仰が厚い。分りやすい神社名だからでしょうね。
金運のご利益は神職の方々の方が受けているのではないか。ふと私のいじましい心がそう思ってしまいます。こんなところが私の底意地の悪さです。反省しなければ。
カップル達は土砂降りの中、相合傘で参拝。社務所の売店で地味目美人の清く正しい巫女さんからお守り等々を買っている。
私も釣られて自動販売機の安い方の御神籤を引く。末吉。そうだろうな。お見通しだな。
「雲の切れ間から差し込む光」と書いてある。光の字って、本当は拷問の意味なんだけど大丈夫かな。
「このごろついていないと感じても 他人をうらやむことなく・・・・」。ずっーとついていないし、他人は恨んでいないけど・・・・・、否、恨んだりもしてるかな。
「自分の運を信じて ほがらかに・・・・。明るい心と笑顔には 幸運を引き寄せる・・・・」。もう自分の運なんて信じられないよ。笑顔と言っても自分の部屋で独りでエヘラエヘラしてたら、自分が恐ろしいし・・・・。
金運は出費があると書いてある。確かに出費だらけだ。
旅行はトラブルの可能性。万全の対策を・・・・。当たっている。確かに今回の旅行はトラブルだらけだったよ。ついていないよ。万全の対策していたけど、釣りも出来なかったし・・・・・・。
良いのは恋愛運か。愛情を一人占め。幸運期と書いてある。「幸」の字は雁字搦めに縛られている状態の意味なんだけど、そっちじゃないよね。
「愛」の字は心が苦しいと言う意味。御神籤の様にシンプルに受け取るげきか。私の姓名判断は真実を底の底まで追求し、底を割る傾向があるかな。
そんな事を想いながら社務所の軒下で佇んでいると、ふと目立つカップルが居た。
女性は30歳前後。色白でぽっちゃり。茶髪でちょっとカールしててロング。驚く事に身長は185cm以上有る。
165cmの私より背の高い女性は今時珍しくなど無いが、私よりも20cm以上背が高いのは流石に珍しい。ペチャンコのサンダルを履いているのは、自分の身長にコンプレックスを持っているのか。それで悩んでいるのか。そんなの全然大した事ではないのに。
そして直ぐに感じたが、この女性、生命力が薄い。命が消えかかっている感じがする。私に似ている。
相手の男は身長150cm前後。痩せ型で眼鏡。歳は70歳~75歳程度。
この二人、親子ではない。孫と祖父でもない。雰囲気でそれが分る。どう言う関係なのだ。
それにしても年齢差は40歳前後。身長差も40cm近く有る。どう見ても変だ。どうなってんだ、これっ。
続く。