この御題、神道のカテゴリーで良かったのか疑問に思っていますが、続きです。
やっぱり大柄女性が気になる。生を放棄した様な表情。意思が感じられない。
私、幼い頃から人の顔色を伺って生きて来たので、「この人は、こんな感じの人だろうな」と何となく分るのだが、この女性はそれが感じられない。分らない。強いて言えば「私なんてどうなっても良い。私の人生なんて意味は無い。死にたい」と考えている様に思える。
では、何でこんな背の低いお爺さんと一緒にいるのだ。
私の経験上、背の低い男は大柄の女性に惹かれる。このミニ爺さんもそれでこの大柄女性が気に入って付き合っているのか。心の弱みに付け込んでいるのか。
でも相手の大柄女性の表情から判断して、ミニ爺さんには全然興味が無いみたい。だったら何故一緒にいるのだ。
これまた私の経験上だが、男女二人っきりで神社に参拝に来るのは、大抵はできているから。其れは間違いないと思うのだが。
ミニ爺さんは大柄女性に何かを語っている。何かを教え込む様に。大柄女性は興味なく相槌を打つだけ。これは恋愛関係じゃないな。
まっ、人は人。自分は自分。人の事を考えている余裕は無い。自分の方がよっぽど大変な時期なのだから。
そう思いながら社務所の軒下から出て、座って雨宿りが出来る神社の案内場??へ移動。これからどうしようか考える。
この金蛇水神社は金運を授けてくれる神社であるが、神道の本質である受代苦で考えると、人間に金や水、そして自分の住処である山を奪われた蛇を祀る神社と言える。
その奪われた存在に「もっと金をよこせ」と言う様に、金運を授けて貰いにくるのは如何なものなのだろう。
私がその蛇であるなら祟りを落としてしまうな。「ふざけんじゃねぇー」と言いながら。
弁財天は本来は金運の神ではない。呪いの神。一番酷い目に遭った日本の本来の地主神。気軽に金運を強請れる神ではない。
実は神社に参拝した時、「自分の様な者を生かせて貰って感謝です」と語り、そしてまた、「できましたらもう少しお力をいただきたいです」と願ってしまった。これは不味かったかも知れない。何とか生きているだけでもご利益と思うのが本筋。生かされているだけでも有り難いと感謝する場所が神社なのだから。
そう罪悪感を感じてクルマに戻る。暑くて汗でびっしょりなのでクルマのエアコンで涼んでいたら、あの歳の差カップルが遣って来て、隣に駐車しているアルトに乗り込んだ。何だ、隣のクルマだったのか。
二人は私同様、車のエアコンで涼みながら、テイクアウトしてきた300円のアイスコーヒーを飲んでいる。私はクルマを発車させてナンバーを見た。そこには富士山と書かれていた。
富士山ナンバー。そんなナンバーがあるのか。っと言う事は静岡か山梨から来たのか、こんな小さなアルトに乗って。
だとすると宿泊しながら来ているのか。やっぱり二人はできているのか。こんな歳の差があるのに。
それよりも富士山のナンバーが気になる。富士山と言えば多くの新興宗教の本部が有る場所。っと言う事はこのミニ爺さんは新興宗教の者なのか。安いアルトに乗っているのは、新興宗教の本部に財産を上納しているからなのか。
新聞屋時代、○○学会の会員で富士山での総会から帰って直ぐに精神に異常を来たした従業員のTさんを思い出す。私は富士山には良いイメージは無い。
大柄な彼女は精神を病んでいる様に見える。ミニ爺さんはその彼女を連れて富士山からここまで来たのか。新興宗教の幹部として。
彼女にとって金運など無意味。精神の安定こそが大事。その為に東北の地をクルマで回っているのか。だとしたら新興宗教の幹部とかは関係ないのか。大柄彼女も裕福には見えないし。
旅は流離い。流離う事は速佐須良姫の禊。そして私の福島への旅も禊だった。私と同じ考えからなのだろうか。
ミニ爺さんが彼女の精神状態に付け込んでの旅なら許せんが、彼女の禊の手助けをする為に禊旅に同行しているのであれ中々の人物なのかも。そうなるとミニ爺さんは祓い清めの手伝いをする懸衣爺の役割を果たしているなのかも。
あれっ、金蛇水神社は水神・水速女命を祀っている。奪衣婆のモデル??である瀬織津姫と水速女命が同神であるなら、金蛇水神社には懸衣爺も祀られているのではないか。弁財天である金山彦神として。
ミニ爺さんが金蛇水神社に参拝しに来たのも彼女の心の穢れを取る為なのでは。
彼女の為にもそうであって欲しい。それなら大柄な彼女は私よりも大分幸せだな。助けてくれる貴人が側に付いているのだから。
考えてみれば私が金蛇水神社に参拝に来たのは、彼女同様、自分の心の禊をしたかったからなのではないか。無意識で心の穢れを洗い流したいと思ったからではないのか。
そう考えながら金蛇水神社を後にしました。
私よりも協力者に恵まれている大柄な彼女をチョットだけ羨ましく思いながら・・・・・。
ではでは。
やっぱり大柄女性が気になる。生を放棄した様な表情。意思が感じられない。
私、幼い頃から人の顔色を伺って生きて来たので、「この人は、こんな感じの人だろうな」と何となく分るのだが、この女性はそれが感じられない。分らない。強いて言えば「私なんてどうなっても良い。私の人生なんて意味は無い。死にたい」と考えている様に思える。
では、何でこんな背の低いお爺さんと一緒にいるのだ。
私の経験上、背の低い男は大柄の女性に惹かれる。このミニ爺さんもそれでこの大柄女性が気に入って付き合っているのか。心の弱みに付け込んでいるのか。
でも相手の大柄女性の表情から判断して、ミニ爺さんには全然興味が無いみたい。だったら何故一緒にいるのだ。
これまた私の経験上だが、男女二人っきりで神社に参拝に来るのは、大抵はできているから。其れは間違いないと思うのだが。
ミニ爺さんは大柄女性に何かを語っている。何かを教え込む様に。大柄女性は興味なく相槌を打つだけ。これは恋愛関係じゃないな。
まっ、人は人。自分は自分。人の事を考えている余裕は無い。自分の方がよっぽど大変な時期なのだから。
そう思いながら社務所の軒下から出て、座って雨宿りが出来る神社の案内場??へ移動。これからどうしようか考える。
この金蛇水神社は金運を授けてくれる神社であるが、神道の本質である受代苦で考えると、人間に金や水、そして自分の住処である山を奪われた蛇を祀る神社と言える。
その奪われた存在に「もっと金をよこせ」と言う様に、金運を授けて貰いにくるのは如何なものなのだろう。
私がその蛇であるなら祟りを落としてしまうな。「ふざけんじゃねぇー」と言いながら。
弁財天は本来は金運の神ではない。呪いの神。一番酷い目に遭った日本の本来の地主神。気軽に金運を強請れる神ではない。
実は神社に参拝した時、「自分の様な者を生かせて貰って感謝です」と語り、そしてまた、「できましたらもう少しお力をいただきたいです」と願ってしまった。これは不味かったかも知れない。何とか生きているだけでもご利益と思うのが本筋。生かされているだけでも有り難いと感謝する場所が神社なのだから。
そう罪悪感を感じてクルマに戻る。暑くて汗でびっしょりなのでクルマのエアコンで涼んでいたら、あの歳の差カップルが遣って来て、隣に駐車しているアルトに乗り込んだ。何だ、隣のクルマだったのか。
二人は私同様、車のエアコンで涼みながら、テイクアウトしてきた300円のアイスコーヒーを飲んでいる。私はクルマを発車させてナンバーを見た。そこには富士山と書かれていた。
富士山ナンバー。そんなナンバーがあるのか。っと言う事は静岡か山梨から来たのか、こんな小さなアルトに乗って。
だとすると宿泊しながら来ているのか。やっぱり二人はできているのか。こんな歳の差があるのに。
それよりも富士山のナンバーが気になる。富士山と言えば多くの新興宗教の本部が有る場所。っと言う事はこのミニ爺さんは新興宗教の者なのか。安いアルトに乗っているのは、新興宗教の本部に財産を上納しているからなのか。
新聞屋時代、○○学会の会員で富士山での総会から帰って直ぐに精神に異常を来たした従業員のTさんを思い出す。私は富士山には良いイメージは無い。
大柄な彼女は精神を病んでいる様に見える。ミニ爺さんはその彼女を連れて富士山からここまで来たのか。新興宗教の幹部として。
彼女にとって金運など無意味。精神の安定こそが大事。その為に東北の地をクルマで回っているのか。だとしたら新興宗教の幹部とかは関係ないのか。大柄彼女も裕福には見えないし。
旅は流離い。流離う事は速佐須良姫の禊。そして私の福島への旅も禊だった。私と同じ考えからなのだろうか。
ミニ爺さんが彼女の精神状態に付け込んでの旅なら許せんが、彼女の禊の手助けをする為に禊旅に同行しているのであれ中々の人物なのかも。そうなるとミニ爺さんは祓い清めの手伝いをする懸衣爺の役割を果たしているなのかも。
あれっ、金蛇水神社は水神・水速女命を祀っている。奪衣婆のモデル??である瀬織津姫と水速女命が同神であるなら、金蛇水神社には懸衣爺も祀られているのではないか。弁財天である金山彦神として。
ミニ爺さんが金蛇水神社に参拝しに来たのも彼女の心の穢れを取る為なのでは。
彼女の為にもそうであって欲しい。それなら大柄な彼女は私よりも大分幸せだな。助けてくれる貴人が側に付いているのだから。
考えてみれば私が金蛇水神社に参拝に来たのは、彼女同様、自分の心の禊をしたかったからなのではないか。無意識で心の穢れを洗い流したいと思ったからではないのか。
そう考えながら金蛇水神社を後にしました。
私よりも協力者に恵まれている大柄な彼女をチョットだけ羨ましく思いながら・・・・・。
ではでは。