続きます。
新聞販売店の雇用条件は最悪です。今でさえ休みは月一日です。これじゃ従業員も真面な人物は中々集まりません。犯罪者が多いのもその為です。何時も人手不足でしたから。
私の家でもアパート・寮を完備していました。家賃は全額補助です。
初任給は26万円。それプラス拡張料金。これ、30年以上前の話です。そこまで優遇していたのです。それでも人は集まらない。休みが無いですから。
雇用しても刑務所上りが多い。実際、新聞販売店員の犯罪って多い。何時もどこかで事件を起こしている。しかも悪質な犯罪ばかり。そんな人間を雇用するのって、本当に命を削る行為です。真面な精神状態じゃなくなります。それは私の親が証明していると思います。
勿論、真面目な人物も皆無ではありませんが、私はそんな人ばかり見て来た。客でも悪質な者が多くいる。だから新聞なんて見るのも嫌です。本当に無くなれ。
はぁー、長々と新聞に対するストレスを吐いちゃいました。済みませんでした。この話をすると本当に苛立つのです。辛い思いでしかありませんし。
さて、私が家業を手伝っていたのはバブル時代前夜ですが、私以外の新聞屋の息子も少年院に入った者が多いです。ぐれるのが当たり前です。
珍しく真面な新聞屋の息子もいました。明治大学へ通っていました。驚くことに仙台から。
何時も早朝3時前に起床し、7時に新聞配達を終え、それから新幹線で東京の明治大学に通学してました。
仙台から東京までの新幹線の代金は約1万円です。そうなると定期でも毎月30万円はかかっていたと思われます。それだけ新聞配達をする者が集まらない。異常な人手不足です。皆、苦労してました。
勿論、私同様、新聞販売店の後なんて継ぎません。そんなバカはいません。苦労ばかり見てきましたから。
でも一人だけいました。私と同じ年の新聞販売店の息子が後を継いだ。その者はどうなったか。
その人は目が悪くクルマやバイクの運転は出来ない。だから苦労していた。でも親は元々地主です。お金は持っていた。だから新聞販売を続けられたと言えます。
しかし、時代が時代ですから、新聞はどんどんと減る。販売部数を保つ為に拡張費をバンバン使う。経営が傾く。親の財産をつぎ込む。それで何とか続けていました。
その息子は気が弱かったらしいです。新聞を増やせと本社の担当員から罵倒・叱咤される。時には頭を小突かれもしていたみたいです。
私だったら無理ですね。これでも中学・高校と喧嘩三昧の日々だったので。
私も気が弱いと言うか柔和な顔をしています。だから舐められます。でも直ぐに生板の鯉になる。どうとでも成れと思っちゃう。そして喧嘩です。
以前、身長190センチ以上、ニシキヘビ似の販売店組合の会長が27歳の本社担当員を半殺しにした話をしましたが、私もやっちゃうかも知れません。担当員を半殺しにしても警察には捕まらないので。
本社としても販売店との暴力沙汰を事件にしたくない。それでなくても他のマスコミ媒体から攻撃されてしまう。だから担当員の骨の一、二本折っても捕まりません。それを知っているから私もニコニコしながらやっちゃうかもです。
でも、その新聞屋の息子は目が余り見えないものあって従順でした。担当員の言いなり。本当に辛い状態にいた様です。
続く。
新聞販売店の雇用条件は最悪です。今でさえ休みは月一日です。これじゃ従業員も真面な人物は中々集まりません。犯罪者が多いのもその為です。何時も人手不足でしたから。
私の家でもアパート・寮を完備していました。家賃は全額補助です。
初任給は26万円。それプラス拡張料金。これ、30年以上前の話です。そこまで優遇していたのです。それでも人は集まらない。休みが無いですから。
雇用しても刑務所上りが多い。実際、新聞販売店員の犯罪って多い。何時もどこかで事件を起こしている。しかも悪質な犯罪ばかり。そんな人間を雇用するのって、本当に命を削る行為です。真面な精神状態じゃなくなります。それは私の親が証明していると思います。
勿論、真面目な人物も皆無ではありませんが、私はそんな人ばかり見て来た。客でも悪質な者が多くいる。だから新聞なんて見るのも嫌です。本当に無くなれ。
はぁー、長々と新聞に対するストレスを吐いちゃいました。済みませんでした。この話をすると本当に苛立つのです。辛い思いでしかありませんし。
さて、私が家業を手伝っていたのはバブル時代前夜ですが、私以外の新聞屋の息子も少年院に入った者が多いです。ぐれるのが当たり前です。
珍しく真面な新聞屋の息子もいました。明治大学へ通っていました。驚くことに仙台から。
何時も早朝3時前に起床し、7時に新聞配達を終え、それから新幹線で東京の明治大学に通学してました。
仙台から東京までの新幹線の代金は約1万円です。そうなると定期でも毎月30万円はかかっていたと思われます。それだけ新聞配達をする者が集まらない。異常な人手不足です。皆、苦労してました。
勿論、私同様、新聞販売店の後なんて継ぎません。そんなバカはいません。苦労ばかり見てきましたから。
でも一人だけいました。私と同じ年の新聞販売店の息子が後を継いだ。その者はどうなったか。
その人は目が悪くクルマやバイクの運転は出来ない。だから苦労していた。でも親は元々地主です。お金は持っていた。だから新聞販売を続けられたと言えます。
しかし、時代が時代ですから、新聞はどんどんと減る。販売部数を保つ為に拡張費をバンバン使う。経営が傾く。親の財産をつぎ込む。それで何とか続けていました。
その息子は気が弱かったらしいです。新聞を増やせと本社の担当員から罵倒・叱咤される。時には頭を小突かれもしていたみたいです。
私だったら無理ですね。これでも中学・高校と喧嘩三昧の日々だったので。
私も気が弱いと言うか柔和な顔をしています。だから舐められます。でも直ぐに生板の鯉になる。どうとでも成れと思っちゃう。そして喧嘩です。
以前、身長190センチ以上、ニシキヘビ似の販売店組合の会長が27歳の本社担当員を半殺しにした話をしましたが、私もやっちゃうかも知れません。担当員を半殺しにしても警察には捕まらないので。
本社としても販売店との暴力沙汰を事件にしたくない。それでなくても他のマスコミ媒体から攻撃されてしまう。だから担当員の骨の一、二本折っても捕まりません。それを知っているから私もニコニコしながらやっちゃうかもです。
でも、その新聞屋の息子は目が余り見えないものあって従順でした。担当員の言いなり。本当に辛い状態にいた様です。
続く。