諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

申し訳ないですけど、瀬織津姫がマグダラのマリアの筈は無いですよ。その1

2018年10月02日 09時08分03秒 | 瀬織津姫
「マグダラのマリア 瀬織津姫」で私のブログに辿り付いている方が相変わらず多い様です。私は「瀬織津姫はマグダラのマリアだ」なんて一言も言っていないのに。

まっ、それで検索して、ついでに私のブログをチョット見ただけなのでしょうけど。

今回はそんな人達に向けて書こうと思います。瀬織津姫とマグダラのマリアの違いを。そして瀬織津姫はマグダラのマリアじゃないと言う理由を。説明するのは大変骨折りですが。

さて、以前、「瀬織津姫はマグダラのマリアではなく、イエス・キリストなのではないだろうか」とかのタイトルで記事を書きましたが、私、本当に「瀬織津姫=イエス・キリスト」だなんて思っておりません。

詳しくは過去の記事を読んで頂きたいのですが、瀬織津姫とされる熊野権現・五衰殿の物語が余りにもイエス・キリストの話しに似ている。だからそのタイトルで書いたのです。

仏教にキリスト教のエッセンスが加わって日本に伝来した可能性は大変高いと思いますが、だからと言って瀬織津姫がイエス・キリストの訳が無い。

神道は自然信仰。そしてキリスト教は神や人間よりも自然を下と見ている。これで大抵の方は理解して頂けると思います。

断言しちゃいますけど瀬織津姫は蛇です。蛇神です。瀬織津姫の上には間違いなく蛇がいます。そしてキリスト教では蛇は悪魔。根本が違います。

っと言いながらも、歴史的・学術的にイエス・キリストのモデルと言うか、源流を遡ると蛇に辿り着いたりもするのですが、キリスト教を宗教として考えれば蛇は悪魔。悪魔である蛇の瀬織津姫がイエスの訳が無いです。これで分かって欲しいです。

こんな事、神道とキリスト教の知識が多少でも有るなら誰だって分ると思います。

もう少しキリスト教や神道を勉強してみてください。ヒーラーや教祖に全部任せず、自分で辿り着いて自分で判断してみてください。今までの矛盾が見えてきますから。

更に私のブログも矛盾だらけで、私がシドロモドロになって書いているのもお分かりになりますから。ヘロヘロなんですから。

簡単に人の話を真に受けてその人を神の如くに敬ちゃう人が大勢いますが、人間なんてのは皆、大したことありません。全部は信じちゃダメ。それでは麻原彰晃のオウム信者と何ら変わりは無いですよ。

「偉そうに。じゃ何でお前は『瀬織津姫はマグダラのマリアではなく、イエス・キリストなのでは』なんて記事を書いたのだ」と言われそうですが、私、以前は雑誌の編集者や業界紙の整理記者をしていたのです。

見出しと言うかタイトルで興味を持って読んで貰う為に少なからずハッタリをかますのです。昔の癖です。それだけの事です。すんませんね。

最初、「瀬織津姫=マグダラのマリア」としたのは瀬織津姫関連の著書を持つY氏ですが、それは私は非難しません。

私もそんな感じでハッタリかましてやっていましたから。出版関連の仕事は読まれて何ぼ。私もそれで給料を貰っていたので。

出版関係は30年以上前から冬の時代です。雑誌や新聞を買って読んで貰う為に、姑息に誤解させる見出しを付けたりもします。雑誌やタブロイド紙は特に。

「信じる者」と書いて「儲け」です。私も大嘘??を書いて信じ込ませて食べていたのです。すいませんです。

このブログでは金儲けをした事は今のところ一度も無いです。だから正直に書いています。

お金が貰えないからしょうがなく自分の正直な気持ちと考えを書いているのですが(嘘ですよ)、私も考え直す事と言うか、間違いも結構多いです。

それでも「瀬織津姫 マグダラのマリア」で検索して当ブログに来てくださる人がいるのであれば、私の考えを書きたいと思います。瀬織津姫とマグダラのマリアの宗教面での根本的な違いを。何故、瀬織津姫がマグダラのマリアで有る訳が無いと言う理由を。

うーん、こんな事書いちゃうと、また色んな方面から攻撃されちゃうでしょうけど、私は真実を追究する男なのです。これが私の性です。

では眼を細くして読んで見てください。


続く。

コメント (12)
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